ともに生きる・福祉のページ
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広がる 地域の輪

京都頸髄損傷者連絡会

分け隔てのない社会を
重度障害でも自らの意志で(2023/12/25)


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京都頸髄損傷者連絡会の活動を牽引した小森さんの写真のそばで、目指す社会を語る村田さん(京都市伏見区)

京都頸髄(けいずい)損傷者連絡会の40周年を記念した式典が10月28日、京都市南区の京都テルサで開かれた。会員をはじめ大阪など他府県や全国組織の連絡会、行政関係者など約80人が参加した。京都頸髄損傷者連絡会を代表して村田惠子会長(62)は「重度の障害があっても自らの意思で選択した生き方をいっしょに考えていきたいと活動してきました」とあいさつした。

1982年に設立されて以来、行政へ要望を重ねた。訪問看護ステーションの利用料3割負担を障害者医療費支給制度の対象とすることや、簡易電動車いすリチウムイオンバッテリーへの特例でない基本支給など実現してきた成果について、画像を示しながら役員が式典で回顧した。これらは簡単に実現したわけではない。訪問看護について全国組織にアンケートを実施し、リチウムイオン電池のランニングコストも調べて提言したからだった。

社会に障害者への差別の禁止を提言する「京都府障害のある人もない人も共に安心していきいきと暮らしやすい社会づくり条例」案を検討する会議に、村田さんは委員として参画した。「障害女性の複合差別」を盛り込むよう強く訴えた。条例案に検討会議の議論や意見を反映させることを求め、「知事と直接会ってお願いもした」と振り返る。結果として2015年に施行された条例には、基本理念の重点6項目に「障害のある女性が障害及(およ)び性別による複合的な原因により特に困難な状況」と明記された。

記念式典から半月もしない11月11日、村田さんたちに訃報がもたらされた。相談役で元会長としても会の活動を牽引(けんいん)した小森猛さん(59)が亡くなった。

小森さんは式典当日、参加者に自身の体験を語ったばかりだった。中学3年の15歳、トレーニング時にトランポリンから落下して病院に搬送された。

小森さんはその後、車いすでサッカーをプレーし、情報技術の企業を営んだ。2003年には障害者の居宅支援に取り組むNPO法人「なごみ」を、理事長として伏見区内で立ち上げた。自立支援へ身体介護や家事援助、移動介護、日常生活などのヘルパー派遣から始まったサービスは、その後に高齢者介護や相談支援へ事業の幅が広がっていった。

NPO法人のホームページ冒頭には、小森さんが掲げた「障がい者・高齢者の生きざまを尊敬できる心をもつ」「みずからの仕事に誇りをもつ」などの理念とともに電動車いす姿の写真が掲載されている。京都頸髄損傷者連絡会の定例会会場にもなってきたNPO法人建物の1室には、ほがらかでムードメーカーだった小森さんが生き生きと活動する写真や動画などが掲げられ、遺影と祭壇が設けられた。

法人の相談事業部門で働いている村田さんは「障がい者の人権と尊厳を徹底して擁護した小森さんの思いは、京都頸髄損傷者連絡会とNPO法人の両輪の活動に息づいています」と語る。障害のある人とない人が分け隔てられることのない社会を目指す原点を、村田さんは胸に刻んでいる。


京都頸髄損傷者連絡会
「より重度な者が地域で安心して暮らせる社会」を目刺し、堀川優さんを発起人に1982年設立。92年、2001年、10年と20年には全国頸損連絡会の京都大会が開かれた。04年にNPO法人化。会員の交流のほか行政との交渉や学習会・シンポジウムを開いている。