ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
やすらぎトーク
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「ハンディのある子が、大人になっても住めるような村を作りたいと、一生懸命やってきました」

 ねむの木学園園長 
 宮城まり子さん(2008/04/15)


 今日4月6日は、ねむの木学園が生まれた日です。思い出の日に、皆さんにお話しできることを、とってもうれしく思います。あれから40年がたちました。私、歌を歌い始めたころから、相手の立場になって考える優しい人になりたいと思っていました。これは小さいころに母からもらった気持ちです。そうして子どもたちに愛というボールを放ったの。子どもたちはそのボールを受けて、愛でみごとに返してくれました。絵と音楽は子どもたちの才能を引き出してくれました。私は今も愛のキャッチボールを続けています。

《静岡県のJR掛川駅から車で約20分。茶畑を縫うように行くと、山あいにレンガ色のとんがり屋根が目に入っる。宮城まり子さんが、肢体不自由児養護施設ねむの木学園を設立したの1968(昭和43年)園児8人でのスタートだった。40年後の今、80ヘクタールの広大な用地内には子どもや大人の多くの施設が点在する》

 3月9日に、静岡市のグランシップホールでコンサートを開きました。子どもたち全員と教職員やねむの木の200人近い人が出て、みんなでうたい踊ったの。40年の集大成といえるのかな。

 ここには学園のほかに、特別支援学校やお年寄りらの療護施設、それに美術館、一緒に暮らした吉行淳之介さんの文学館、工房、喫茶店もあります。私は、ハンディのある人たちが、健康な人と共に生活できる「村」をつくりたかったのです。

《「ガード下の靴みがき」で大ヒットを飛ばし、歌手、女優として活躍していた宮城さんは、舞台や雑誌の仕事で障害のある子どもたちの恵まれない境遇を知った。そのことが日本で初めての肢体不自由児のための養育施設をつくろうと考えた直接のきっかけだが、実はもっと早くから、そういう気持ちは芽生えていたのだという》

 それはね、手をさしのべる人がいたら、自分の手をさしだす気持ちを、母にもらってたから。歌手になって一人で生きていけるようになった時、ハンディキャップのある子のお手伝いしなければと、思うようになっていったの。その気持ちがずっとたまっていったのね。

 社会福祉法人は、国からの税金をいただきますね。子どもたちは皆さんの税金で面倒見てもらっているでしょ。大人になったら、税金を払える人になってほしいの。少しでもいい。だから、絵を描いたり茶室にお点前に行きます。この子らも日本の国民ですからね。

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学園創立40年記念コンサートで、宮城まり子さんは子どもたちと歌った(静岡市、グランシップ)
《学園の子どもたちは、併設の小中高校で授業を受ける。特に絵画やダンス、音楽、茶道(裏千家)、工芸が積極的に取り入れられている。そうして制作した絵は国内外で開いた美術展で高い評価を受け、ダンスやコーラスの公演も観客を魅せる》

 大事なのは、集中すること。集中することを覚えたら、その人の感性を伸ばせるような気がします。算数ができなくても、難しい漢字を知らなくても、表現することができたら幸せだと思います。そのために、いい音楽を聴いてもらい、いい絵を見てほしい。

 子どもたちはここにいる間に優しくなっていきます。この間も、体調が悪くて休んでいたら、みんなでお見舞いのカードをくれました。すぐ、何か“人のため”っていうことはいいな。うれしかった。

《宮城さんは、1975年と81年の2回、KBS京都でチィリティーテレソンを行った。日本のテレソン番組の先駆けである》

 私の好きな京都のためにやるなら命懸けでやろうと思いました。大きな反響があったし、お金も集まった。素敵な舞台でした。

 京都はいい思い出がいっぱい。「ガード下の靴みがき」がヒットしたあと、すごくハードな生活が続いたの。そのころ、少しでも休めたら京都や奈良へ行って、お寺や神社を回りました。京都は逃げるとこだったの。気持ちが休まるし、私にやすらぎと文化をくれました。時々、京都へ行きたいわ。

《学園をつくる前、宮城さんはオランダやドイツ、アメリカの障害者施設を視察した。その中の、オランダのヘット・ドルプという村は、施設のほかに教会、銀行、美容室、スーパーなどがあり、地域の人も利用している。「こんな村をつくりたい」。これが宮城さんの目標となった》

外国のいろんな施設を見て回って、子どもの家だけではいけないと思ったの。だんだん自立していくにはいろんなものがなかったらダメでしょ。それで40年かかって私もいろんな施設をつくりました。まだ、村は建設中です。

 40年前、この学園をつくったとき、ハンディのある子の養護施設は日本で初めて。日本の福祉はそれぐらい遅れていたんです。私、日本の福祉って日本の経済と同じと思ってる。福祉、福祉といってた時があったと思ったら、今は福祉にちょっと冷たい。バブルに沸いたあと急降下した日本経済と同じね。日本人は、一人一人は優しいのに、どうして組織になると温かさがなくなるのかしら。障害者自立支援法もそう。まだ穴だらけです。政治も法律ももっと優しくなってほしいなと思っています。


みやぎ まりこ
1927年東京都生まれ。55年、歌手として「ガード下の靴みがき」がヒット。68年、肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」設立。その後、ねむの木養護学校、身体障害者療護施設ねむの木のどかな家を設立。女優、映画監督としても活躍。現在、ねむの木学園理事長、園長、校長。

(次回5月4日は京都大学客員教授本庶佑さん)