ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
やすらぎトーク
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「本来はアウトドア派。今はゴルフが何よりの気分転換」 (写真・遠藤基成)

 生命科学者 本庶 佑さん(2008/05/13)


 今世紀は生命科学の時代ともいわれますが、生物について言えるのは、死を迎えるから生物であるということでしょう。死ななければ生物ではないのです。

「不死」本道ではない

 不死を目指すのは医療の本道ではありません。少しでも長生きすることは大切ですが、天寿をまっとうする視点が非常に大事ですよ。天寿とは何歳までかという難しい問題はありますが。

 医療がすべきことは、人々を重い病気から解放して充実した生を実現することです。充実した老後を送り、満足しながら死を迎えることができるようにすることです。心の傷も治す必要があります。治療することのほぼ半分は不安を取り除く点にあるのです。

《生命の働きは多彩だ。限られた遺伝子を駆使して病原体など無数の外敵にちゃんと対応する免疫の働きについて、本庶さんは鍵となる酵素を発見して難題を解明、世界的評価を確立した。生命への思いは深く、洞察は鋭い。かつてエッセーで「遺伝子には愛とともに憎悪というものが組み込まれている」と書いた》

 生きるということには、自己増殖を図ること、環境から自立的に生存できる、その一方で環境に適応できるという3つの基本要素があります。

 生き物は常に環境との密接な相互作用のなかで適応して生き抜いてきたんです。環境によって生かされてきたともいえるわけです。

 外敵に遭遇すればどう対応するか判断を迫られます。逃げるか戦うか。戦う場合は敵を殺すほどの激しい感情が求められるでしょう。

 憎悪が生き抜くための環境への適応という基本要素につながっていることは、厄介なことでもあるのです。

 人間はいまや地球上で天下を取った状況です。強力な外敵がいなくなり、憎悪は外ではなく内部に向かい、人間同士の戦いが激しくなってしまった。個人同士や民族間で戦い、人間のなかで支配するものと支配されるものの関係が続いてきた。

《だが、状況は大きく変化している。地球上の人口が急増し、自分たちだけが生き残るという選択肢はあり得ないことに気づき始めたんじゃないか、と本庶さんはいう》

生物はつながっている

 人間は急激に変わる環境に適応を迫られています。新たな課題が次々と突きつけられています。地球の温暖化問題もあります。石油が枯渇するといった資源問題もあります。食糧は世界規模で不足しつつあります。

 どう考えても、自分のところだけが一人勝ちすることはあり得ない。

 生命科学によって人間が他の動物などと非常に違ってはいないことが分かりました。

 人間は特別ではないのです。

 生き物はDNAなど同じ原理で成り立っています。大切なのはすべての生物はつながっているという観点に立ち、共存の道を探ることなんです。

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「生命科学は人間を知るための基礎になります」(京大医学部の研究室で)
《生命科学は人間の遺伝子の構造を一応解明したが、そこに詰まっている情報は暗号化されており、暗号の解明には至っていないのだという。本庶さんは道は平たんではないが、研究は必ず進むと自信を示す。モットーの「勇気」「継続」「挑戦」を胸に第一線に立ち続ける》

 生命科学によって私たちは自分自身のことを十分に知りえたかというと、まだ道はるかです。

 自然科学としては珍しく、生命科学は研究対象である遺伝情報が有限であることが明確です。すべてはそこにあるわけですが、有限な情報をもとにしているのに、その振る舞いは免疫の働きのようにあたかも無限にみえます。

 人間は実に複雑です。遺伝情報は厳密に決められた設計図というより、アドリブいっぱいの舞台台本でしょうか。変化する環境にアドリブで対応しながら、切れるカードの種類をできる限り増やす。このように有限の壁を越えることにチャレンジするのが生物のありようです。

 人間が突きつけられている課題にしても、有限な地球資源の問題をテクノロジーなどの進展でいかに乗り越えていくかが問われているように思えます。そういう点では有限の壁への挑戦は正念場を迎えているのではないでしょうか。


ほんじょ たすく
1942年京都市生まれ。京大医学部卒後、米国国立衛生研究所客員研究員、大阪大医学部教授などを経て京大医学部教授。医学部長を務め、現在は客員教授、内閣府総合科学技術会議議員。免疫細胞の分化、増殖の仕組みを世界に先駆けて解明し、恩賜賞・学士院賞など受賞多数。文化功労者。

(次回6月1日は、建築家・松村正希さん)▲TOP