ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
やすらぎトーク
施設ではなく「家」を造りたい 環境整えば生活は豊かに
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食事準備にかかわりながら役割も見つけていく(京丹後市・第二丹後園、同園提供)

 建築家 松村正希さん(2008/06/10)


 障害者や高齢者の施設をつくるときのテーマは、利用者がいかに元気になれるかですね。
 それぞれの人に長年の生活で培われた生活感があります。これを受け継いで人生を継承することが大切なんです。
 もうひとつ重要だと考えるのは、それぞれの人には生きていくための役割があることです。その役割をどう見つけて確保していくか、これが非常に大事です。
 障害や認知症が重くても、環境が整えば必ず人として豊かに生きていけます。人は衰えてもそれぞれに役割がある。私は施設ではなく、居心地のいい「家」をこそつくりたいのです。

《松村さんが設計した施設は「○○町1丁目」などと名付けられた少人数単位の生活空間確保されている。表札があり玄関があり、台所や洗濯できる場所が身近に備えられる》

食は生活の核

 生活とはなにかを考えました。『生』はまず「食べる」こと、「出す、排せつ」、「眠る」ことだと思います。高齢者らにとっては、どれかが狂ってしまうと命にかかわります。『活』は仕事というか、社会とのかかわり、役割ではないですか。

 食べることは多角的な意味があり生活の核となるものです。「おいしい」と思えば人と語る。喜びがコミュニケーションの幅を広げる。食環境は人が持っている味覚や視覚など五感をよく刺激して、活性化してくれるんです。

 それが多くの施設で奪われてきた。私はポイントは包丁の音にあると思っています。包丁の音が響く施設をつくっているんです。

《若いころから福祉関係の仕事をと考えいた。小学生から新聞配達で家計を支えた貧しさの体験が、社会で弱い立場に置かれた人への強い思いをはぐくんだ。設計事務所勤めのころ、休日に全国の重度心身障害児者の施設を巡り歩く。医療少年院でボランティアもした。松村さんは「私の師匠は現場で出会った多くの人だ」という。保育園に始まり、障害者、高齢者と手がける施設の幅を広げてきた》

疑問が出発点

 いつも違和感がありました。これは違うんじゃないの、というような。重い認知症の人が生活している場になぜ花が飾ってないの、どうしてこんなに殺風景なの、生活の重要な要素であるべき食事が画一的に用意され、どうしてみんなの目の前で作れないのか、などなど。いつも疑問が出発点にありました。

 みんなが食事の支度を出来るわけではありません。でも食器を用意するとか、タマネギの皮をむくとか、何でもいいんです、出来ることをする。それが元気のもとです。

 お年よりは元気になる存在ではない、だんだん悪い方向に行くのが当然だという思い込みがありすぎるんじゃないですかね。環境次第で豊かな生活が実現する可能性は大いにあるんですよ。

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「人の生命をいかに輝かせるか、建築の仕事で求めていきたい」(写真・遠藤基成)
《松村さんが手がけた施設で重い障害をもつ息子が生活する母親から手紙がきた。  「息子に変化が見え始めました。声を出して笑うようになりました。何かをしたいと要求も出すようになりました。息子の部屋から台所で調理する人の姿がよく見えます。その姿や煮炊きのにおいから食欲も出てくるのではないかと思います。食事が1人で食べられるようになったのです。住む『家』、そして『食べること』は人間として自ら『生きる力』を生み出す原点であり…」》

 いまやっているのは利用者とのワークショップです。どんな家に住みたい? 包丁を握ってみたい? とかいろいろ問いかけるんですよ。ある女性はピンク色のお風呂が欲しいといいました。

 それぞれが要求を持っているんです。これまで彼らの声は無いもののように扱われてきたと思います。本人たちがどんな暮らしをしたいのか、それが大切なんです。

 私がかかわった施設で要介護度が改善したり、食べられなかった人が食べられるようになったり、効果が出ているのはうれしいですね。いま研究者と連携して、なぜなのか検証を進めています。良い点も悪い点もしっかり明らかにして引き継ぎたいからです。


まつむら まさき
1948年京都府生まれ。京都市立伏見工業高校卒後、建築事務所勤務を経て独立、現在は莫設計同人社長。2006年福井大工学部後期博士課程修了、研究テーマは「障害者、高齢者グループホーム型施設の実践的研究」。同学部非常勤講師なども務めた。

(次回7月6日は、レーシングライダー高杉奈緒子さん)▲TOP