●やすらぎトーク
『「見えない」世界で生きること』の著者
松永信也さん(2008/10/14)
見えない僕らにとって、社会を信用しない、人を信じないということは、家から出ないということなんです。ですからとりあえずは社会を信用することにして、一歩外へ踏み出すんです。
京都ライトハウスで訓練受けて、ひところ物販の仕事で人を訪ね歩いたりしたので、今は日本国内ならどこでも1人で行く自信があります。
でも毎日のように街に出る僕にとっても、何のハプニングもなく過ごせる日なんてないんですよ。それが見えないことやと思います。
よく乗り降りしている駅でも、電車から降りて「あれ、階段どっちやったやろ」と迷うようなことはしょっちゅうです。
そんな時、たいていは僕のほうから声を出します。足音のする方向にね。最初はその声がなかなか出ないんです。やっと出しても足音が遠ざかる。気持ちがめげます。そのうち「スミマセン」と言うより、ストレートに「階段はどっちですかー」と言った方がよく答えてくれはることに気がつきます。繰り返しで学んでいくんです。
《2冊目の著書となる、『「見えない」世界で生きること』(角川学芸出版)には、積極的に出歩く松永さんとさまざまな人々との出会いが多く語られている》
目が見えていたころに比べれば、今は人とのコミュニケーションの回数は十倍以上でしょう。僕らは人を信じて声をかけざるをえないんです。無視して通り過ぎる人のほうがはるかに多いですけど。
人と人がふれあい、支えあい、助け合う関係というのは社会の基本でしょう。でも今は、基本的な人間関係がなくてもやっていけてしまうようになっているんじゃないですか。見えないとそれがよく分かります。
《「見えない世界」の伝道者を自負する松永さんは、福祉専門学校の講師を務めるほか、企業などの人権講座の講師などもする。小学校では授業に参加して視覚障害者への理解を深める努力を続けている》
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子どもたちによく聞かれるんです。「よう助けてもろてるて言うけど、その人の顔て分からへんのやろ。こわないの」って。
毎日出歩いて、いろんな人に会うて、それでここに居るちゅうのは、会うた人がみんないい人やったということや。目が見えん人は、人が人を信じられる社会やないと生きられへんのや。でもそんな社会は君らにとってもええ社会やと思わへんか。そう答えます。
そうすると皆が「そう思う」と言ってくれます。人と人が理解し共感する力はすごいと実感できます。その力を信じたいんです。
子どもたちの前で話したりする時は、僕に何かが乗り移ったような感じがするんですよ。僕はそれは僕と同じ状況にある人たちの強い願いやないかと思ってるんです。
《失明後すぐにこのような境地に至ったわけではない。のたうちまわるつらさがあった。第一の壁は見えないことを受け入れることだ。京都ライトハウスでの訓練などで前向きに生きようという気持ちになれたという。しかし本当の壁は、訓練から社会に戻るときにやってくる。もともと児童福祉にかかわっていた松永さんは、福祉関係の仕事を探したがまったくない。職業選択の自由は有名無実だった》
第一の壁で乗り越えないかんのは、目が見えんようになったら何もできひん、という自分の思い込みです。僕はもがき苦しんでなんとか変わりました。そやけど社会のほうは止まったままなんです。とにかく「くやしい」の一言でしたね。「なんでやねん」と本当に落ち込みました。
目が見えない人は社会全体から見れば少数です。しかもその全員が出歩くわけではありません。身の回りに居ないと社会の関心は薄く、「何もできない」という暗い思い込みが一人歩きしている。この悪循環を断ち切りたい。
まずは僕ら当事者が、「目が見えなくても不幸ではない」というメッセージを発信していくことだと思っています。まずここから変えていく。見えないことのイメージを変えたいんです。
しかし現実を大きく変えるには、とても僕一代では無理でしょう。何百年も崩れなかったものを壊すわけですからね。僕は「百年計画ぐらいのもんやないか」と思っています。ノミでトンネルを掘るようにね、めげずにやり続けていくしかないなと考えています。
まつなが のぶや
1957年、鹿児島県生まれ。佛教大卒後、児童福祉施設に勤務するが、病気のため40歳で失明。著書は他に「風になってください 視覚障害者からのメッセージ」(法蔵館)がある。京都府視覚障害者協会理事。
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