ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
やすらぎトーク

愛あればこそ歌は生まれる 型の力借り気持ち整理

「介護百人一首」を提唱する歌人 安森敏隆さん(2009/06/16)



自宅近くの藤原俊成の墓を妻淑子さんとよく訪れる(京都市伏見区)
 おかあさんお母さんと我を呼び 赤子のごとくなりゆく老母(はは)は(淑子)

 思い返せばこの歌が「介護百人一首」の原点ですね。妻の歌です。胸をつかれました。母親を長年介護した妻の心がそのまま出ていますよ。いのちがそのまま詠めている。それまで妻の歌をほめたことはありませんでしたが、この歌には「勝てんな」と思ったね。

《安森さんは20数年間にわたって妻淑子さん(64)の母と同居していた。亡くなる8年前から介護が必要となる。淑子さんは胸奥にたまる思いを短歌に託した。「歌は自然に生まれる感じでした。歌は母への贈り物という気持ちでした」と淑子さんは振り返る。そして亡くなる1年前から、安森さん自身も義母の介護に本格的に参加した》



1年で7000首にも

写真
「ケータイ短歌や英語短歌を提唱するのも、短歌の世界をもっと広げたいという思いから」(写真・遠藤基成

 朝は僕の役目でしてね。朝6時におきて様子を確かめる。それが1日の始まりです。食事をなかなか取ってもらえない。心を開くために楽しくなるいろんなことをするんです。時には風呂あがりに裸踊りもしたり。そんな義母と心を通わせようという生活から今度は僕に歌が次から次へと生まれ始めた。1年で7000首ほどになったでしょう。

 介護の歌は1人じゃ歌えない。介護する人と介護を受ける人、双方の愛憎入り乱れた交流があって初めて歌が生まれる。人間はね、愛があるから歌うんです。介護の歌は愛の歌、相聞歌なんですよ。

《2人からあふれ出た歌は本にまとまった。『大学教授の介護日記 介護・男のうた365日』(新葉館出版)、『介護うたあわせ 介護・女と男の25章』(京都修学社)だ》

 本を読んである雑誌の記者が取材に来ました。そのときのやりとりのなかで、広く「介護百人一首」を公募したらいいんじゃないか、と提案したんです。それで僕が選者になってその雑誌が募集したのが、「介護百人一首」の始まりになりました。介護にかかわる人々の心の中には、「いのちのうた」が無尽蔵に埋まっているはずだと僕は確信していましたね。

《介護の短歌公募はその後、NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」の定例番組に引き継がれ、選者は安森さんや母親の介護体験がある歌人道浦母都子さんが務める。応募は年ごとに増え、今年は約7500首が番組に寄せられたという。

 義父介護実父の介護見送りて実母介護は老老介護(兵藤詠子)

 認知症は神のご褒美百歳の 母抱きおれば「父さん」という(夏村多夏)

 入院のやっと承諾せし母を どの病院も受けてはくれず(泉順子)

 今日こそはおかゆにオムツ浣腸も みんな忘れてカラオケに行く(高橋房子)


 現実を映して老老介護や認知症を歌ったものが多くなりました。厳しさもあるけど、愛情やユーモアがあります。

 応募はやはり女性が多いのですが、作者の高齢化が進んでいます。かつての50代から60代が70代80代になってきています。以前に比べれば男性も増えてきました。男性も歌い始めている。男も介護に向き合わなくてはならない時代になっているということでしょう。

 なぜ介護を歌うのか。五七五七七の伝統ある型の力を借りて、自らの現実をつかまえるんです。そして言っちゃう、出しちゃう、公表する。そうすると厳しい現実から一歩上がるんです。越えるんです。自分を客観的に見ることができれば、違った気持ちで現実を見ることができ、整理がつくんじゃないか、次へと向かえるんじゃないか、そう思っています。

《立命館大学在学中に漢字学者白川静さんから教えを受ける。「歌」という字は必死になっておおきな口で叫ぶという意味がある。自らの願いを聞き入れてほしいと神様に訴えるのが歌であると。神様をも動かす「いのち」の訴え、これが歌だと安森さんはいう》

いのち訴える現場

 相聞歌という愛の歌も、相手の心をこちらにもってくるくらい強く訴えないといけない、挽歌(ばんか)、鎮魂歌も同じことです。いのちを訴えるのが歌なんです。

 現代社会でいのちを訴える現場がどこにあるのか。いのちの最先端、ぎりぎりでやっている介護の現場ですよ。

 「介護百人一首」はいつの時代も変わらぬもの、生きること死ぬこと、不易なるいのちを歌っているのです。

 生きてある限り介護はするされるメビウスの環(わ)の中の一人ぞ(敏隆)




やすもり としたか
1942年広島県生まれ。同志社女子大教授。「介護百人一首」のほか「ケータイ短歌」「英語短歌」を提唱。著書に『斉藤茂吉短歌研究』(世界思想社)など。最新歌集『百卒長』(青磁社)が日本歌人クラブ賞受賞。