ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
やすらぎトーク

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伝統的建造物群保存地区の町家にある「ボーダレス・アートミュージアムNO―MA」


障害は克服するものか? 捨てられる多くの作品


滋賀県社会福祉事業団理事長
北岡 賢剛さん(2009/12/15)



《来年3月から9月にかけて、ヨーロッパにおけるアートの発信地パリの市立美術館で、「アール・ブリュット・ジャポネ展」が開催される。アール・ブリュットは、知的、精神障害のある人らの既成の枠にとらわれない自由なアート作品をさす。最近は日本の作品が世界的に高い評価を得ている。この展覧会に出品する作品の窓口を滋賀県社会福祉事業団が務める》

 障害のある人たちの作品は埋もれたままになることが多いので、その発掘に力を入れました。全国で約600人の作品を集め、そのうち90人の作品の展示を提案して、20都道府県から64人の作品が選ばれたのです。展示総数は1000に迫ります。

 私たちは以前、スイスのアール・ブリュット・コレクションと提携して、展覧会を開きましたが、その時は12人の100点でしたから、規模がすごく大きくなりました。スイスでの展覧会は人気で、1年半に及ぶロングランでした。その成功がこの大規模展覧会に結びついたのです。

 しかも今回はアート作品としてきっちりとした評価を受けての開催で、その意味は大きいです。アニメや伝統芸能とは違う日本のアートをパリを舞台に発信できると思います。



国内でも展示を

 海外に比べ、国内では「福祉」という枠組みのなかで見られることも多いので、ぜひこの展覧会を日本に持ち帰って開催して、多くの人に見てもらいたいですね。

《北岡さんは、障害のある人の生活を24時間支えるサービスを整え、生まれ育った街で暮らせるモデルケースを滋賀県で立ち上げ、全国に広めた先駆者だ。彼らの幸せにつながると福祉サービスの種類と量を増やすことに尽力してきた》


「4年に1回は海外展をやりたい。オファーもきています」(写真・遠藤基成
 彼らのアート活動は、まるで水道の蛇口が開けっ放しのような激しさです。それをせずにはおられない。持続力がすごい。

 常識的には全開の蛇口を治療などで抑制するのが当たり前かもしれません。でもアートの観点から見ると、何かが欠けている、足りないことが自由で強烈な表現力につながっている、障害があるからこその全開状態、表現力と思えるのです。
 サービス充実に奔走しながらも、彼らは福祉サービスを受けるだけの存在なのか、サービスを受けるために生まれてきたのか、という疑問がありました。でもその人がその人らしく生きようとするとき、障害って乗り越えるものでも、克服するものでもない。そんな世界があることを知って、心の隙間が埋まりました。

《彼らに対する目を開かせてくれたのは、絵本作家田島征三さんだったという。北岡さんは大学卒業後、知的障害者施設「信楽青年寮」に就職した。田島さんは、その青年寮の人たちとの交流をつづった「ふしぎのアーティストたち」(旬報社)という本も出している》

 田島さんはね、キタちゃん、オレはどうやったら、あんなきれいな色使いのできるダウン症になれるのかって言うんですよ。尊敬を込めてね。

 青年寮の人が作るコーヒーカップはゆがんでいるので、私たちはそれを直していたんです。そうしたら、そういうことをするから売れないって、確かにそのままのほうがすごく高く売れました。私たちは給料をもらって価値を下げる仕事をしているのかと…。

原点を忘れない

《滋賀県社会福祉事業団は2004年、近江八幡市に「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」を開館した。障害の有無という境界を越え分け隔てなく作品を展示する類例のない美術館で、作品の展示だけでなく、収集、発掘も重要な目的だ》

 全国で見れば障害のある人の作品は多くが捨てられているというのが実態です。それに歯止めをかけたい。

 作者の作家としての権利を守ることも大切になってきています。私たちは作者全員に後見人をたてて契約を結ぶようにしています。また作家協会のような組織も作りたいのです。

 振り返ると何かを懸命にやってると、自然に次にやりたいことが出てくる。そんなことが続いてきました。今はアートとのかかわりで得た人としての尊厳を大切に考える視点を生かして、もう一度、福祉サービスのあり方を再デザインしてみたいと思っています。



きたおか けんごう
1958年福岡県生まれ。筑波大大学院障害児教育研究科修了。社会福祉法人「オープンスペースれがーと」理事長。2001年滋賀県社会福祉事業団理事、04年理事長。