ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
やすらぎトーク

自分をもっと大切にせなあかん 父との愛憎乗り越えて


ゴスペル歌手
市岡 裕子さん(2010/01/19)


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サイン会では悩みをうちあけられることも少なくないという
 わたしの父も弟もアルコール依存症でした。米国で参加した依存症の人の家族会で、「あなたは今日、自分のために何か良いことをしたの?」って言われ、気づいたんです。わたしは相手が変われば自分も変わって幸せになれるって考えていたなって。それで、まず自分が変わろうって思い始めました。

 わたしがいなくてはだめになると思って、人に尽くすのはいいことのようだけど、相手が依存症から抜け出すことを妨げます。自分が変わらないと相手は変わりません。


母の自死で暗転

 かつてのわたしのように、自分が本当に大切な人間であることを知らない人が多すぎます。介護や依存症などの問題を、自分だけで抱え込んでいる人も多いと思うんです。無理して続くはずのないことをしても、つぶれてしまう。「助けて」と大声で叫んでほしい。ゴスペルはその叫びなんです。

《市岡さんの父は、かつて吉本新喜劇の座長を務めた岡八朗だ。「奥目の八ちゃん」と親しまれ、「くっさー」などのギャグで一世を風靡(ふうび)した。何不自由なく育ったが、高校生のとき、無名時代から父を支えた最愛の母がうつ病で自死する。そこから家族の暗転が始まった》


「心配せんでええで!」と大阪弁で歌うゴスペルもまじる(京都市下京区 写真・遠藤基成
 舞台に上がるだけで笑いをとる父でしたが、女遊びで家になかなか帰ってきません。家では「ワシのおかげで食わしてやってるのや」という怖い、わがままな父親でした。その父を全力で支えた母がいなくなると、その役割が高校生のわたしにのしかかります。重すぎました。だから父の再婚に賛成しました。

 死んだ母を発見したのは中学生の弟です。弟は酒を飲み始め、重い肝臓の病気になって、若いのに脳出血で亡くなりました。父はどんどんと酒量が増えて幻覚を見始めます。胃がんで胃を全摘、そのうえ階段から転落して脳挫傷で、一時言葉が不自由になり、仕事はなくなりました。家族がこんなになってしもたんは、父のせいや、と恨みました。家に近づくのがいやになり、学生のころ留学したことのある米国に渡りました。

《32歳で渡米し、家族会に参加するようになった市岡さんは、その縁でニューヨークのハーレムにある黒人教会でゴスペルと衝撃的な出会いをする。1999年、ブルックリン・クイーンズ音楽院に入り、本格的勉強を始めた》

 教会でおばさんたちが、口が顔の半分ぐらいになるほど開けて、魂をしぼるように歌っていました。「貴き主よ、わたしは、傷つき、弱り、疲れ果ててボロボロです。人生の嵐をくぐり抜け、夜の闇を抜けて、お導きください」。わたしのことやんか。そう感じました。すぐわたしも歌い始めました。

 おばさんたちや家族会の人から学んだのは、依存症の人に対して、わたしがやらないと、わたしがやらないと、と思いすぎないこと、自分で抱え込まずに助けを求めること。わたしは「ウチのことは、ほっといて」という言葉が大嫌いになりました。

 「欠点だらけかもしれないけど、もう一度、お父さんのいいところを見て、許しなさい」と言われ、難しかったけれどやりはじめました。

最期は穏やかに

 わたしの祈りが通じたのか、父は断酒会に入り、酒をやめたんです。わたしは自立してもらうために、60歳を過ぎた父に、「ごみ捨てて来て」「洗濯機はこうして使うねん」などなど、いろいろ言いました。酒を断ち、やれることは自分でやるようになった父を素晴らしいと思いましたね。憎んだこともあった父でしたが、最期は「大好きなおとうちゃん」として見送ることができました。

《家族のことに時間をとられたことなどから、離婚という苦い経験をした市岡さんだが、昨年米国人男性と結婚、壮絶人生を経て幸せをつかんだ。現在、コンサートや講演活動は全国に及んでいる》

 ゴスペルは、祈りと賛美です。祈りのなかに希望があり、賛美のなかに喜びがあります。もう父も母も弟もいませんが、歌い、語っていると、家族をすぐ身近に感じることがあるんですよ。わたしを通してみなさんに語っているような…。

 わたしは、今の日本で最も必要とされているのは「励まし」だと思うんです。わたしが活動しているのは、触れ合ったみなさんに、「元気になりました」「勇気が出ました」と感じてほしいからです。それがわたしの仕事だと思っています。これからも自分の体験を生かして、前向きに生きます。



いちおか ゆうこ
1964年兵庫県生まれ。4歳からピアノ、歌を習う。カナダ領事館秘書の経験も。
著書に父娘共著の自叙伝「泣いた分だけ笑わしたる!」(マガジンハウス)。