京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●やすらぎトーク
粘土活動39年
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「ここは指導する、されるといったような世界ではないんです」(大津市内、写真・遠藤基成) |
もう消えてしまうんかな、と思っていたころ、目が不自由で寝たきりの人が「でけた」と差し出した粘土のかたまり、延ばした粘土の上にぽつんと穴があいていました。「それ、何?」と聞くと「目や」です。視力のない人が目を表現した。自分を表現したんだ。茶わんとか何とか、常識的な形のあるものができなくてもいい。それでいんだ。そう思いました。私の粘土活動の原点です。
少し落ち着いたころ、参加する人の見せる表情が素晴らしいことに気づいて写真を撮り始めました。岡崎英彦先生(びわこ学園創設者)が園内に「粘土室」を作ってくださり、活動は全園生を対象にして本格化します。ものすごい枚数の写真を撮りましたが、一人一人の記録として貴重なものになりました。
《障害のある人のアートが全国的に注目されるきっかけとなり、現在も続く「土と色」展が国際障害者年の1981年に始まる。京都や滋賀の施設で誕生した作品が多く展示され、田中さんたちも参加した》
粘土のかたまりから一部をちぎっては積み上げていく人がいます。かたまりをスリッパで力まかせにひっぱたく人がいます。ちぎったり、たたいているときはその人のなかにある破壊性が出ていると思うんです。でも、積み上げるとき、激しくたたかれた粘土が別のかたちに変化していくとき、それは創造なんです。
粘土はその人が持っている破壊性、破壊力をやわらかく吸収しながら、それをそのまま創造の世界へつないでいく。みんな、だんだんとその破壊から創造への一瞬の変化を楽しむようになっていくんです。粘土活動には、破壊と創造が隣り合わせで継続しながらあるんです。落ち着きがなかったり、粗暴だった人も落ち着いていきます。
《第二びわこ学園を定年退職した田中さんだが、粘土活動は今も続けている。また同学園のドキュメンタリー映画「わたしの季節」を撮った新潟出身の小林茂監督との縁で、新潟市の有志が田中さんの撮りためた写真をもとに写真集「ねんどになったにんげんたち」を発行、写真展も開かれた》
私がやっていることすべて、粘土室にやってきた子どもたちに教えてもらったことです。多種多様な遊び方はもちろん、作品の焼き方も、みんなヒントを与えてもらいました。主導権は子どもと粘土にありました。自分は何をしてきたんやろ、と思うことがあります。結局、自分は子どもらの好みに合わせて粘土を練ってきただけ、土練り屋やったんやなあ、これが仕事やと…。
たなか けいぞう
1943年京都市生まれ。龍谷大経済学部卒業。第二びわこ学園粘土室専任を経て今も嘱託として粘土活動に当たる。著書に「粘土でにゃにゅにょ」(岩波ジュニア新書)など。