ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。

前例がなければ作ればいい

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

【3】一つダメでも
三つ目で声が出た!

青野 浩美さん



 スピーチカニューレを使って歌っている人はいません。でも、歌ってはいけないわけではないし、前例がないのであれば私が前例になってやる! そう思って迎えた手術の日。2008年5月29日でした。


スピーチカニューレを付けて気管にたまったたんを吸引する青野さん(本人提供)
 術後一週間は出血もあるので、スピーチカニューレは使えません。その間のコミュニケーションは、筆談で行います。ホワイトボードに書いて見せることで、言いたいことを伝えました。書けばもちろん伝わります。

 しかし、書く作業には時間がかかります。それまでずっと話してコミュニケーションをとっていた私にとって、書かなければいけないのはとても苦痛でした。ちょっとしたニュアンスも伝わりませんし、関西人特有の面白いことを思いついたら我慢ができない性格も、この筆談生活をつらいものにしていました。どうしても書き終えるまでに時間がかかるため、途中で言いたいことがばれてしまうのです。そうなるとあまり面白くありません。笑いもあまりおきません。それが許せなかったのです。ものすごいストレスでした。

 スピーチカニューレを入れてもらえる日を心待ちにしていました。一言目は何を話そうか。暇な入院生活で毎日考えました。

 待ちに待ったカニュー交換の日。全く声は出ませんでした。スピーチカニューレなのに全然出ないのです。それを見た当時の主治医の先生は、「あなたにはスピーチカニューレは不適応です」と言いました。

 私は腹が立ちました。いろんなメーカーのものがあるのに、どうして一つ試しただけで諦めるのだろうと思ったのです。「他の物を試させてください」とお願いしました。しかし相手は大学病院です。普段付き合いのないメーカーのものは使えないと言われました。それでも諦めきれませんでした。病院の都合で、話せるか話せないかが決まるのはおかしいと思ったのです。結局3時間、筆談でお願いし続けました。本当はいけないけれど…と言われながらも試供品を集めていただけることになりました。そして3つ目で今のカニューレに出会いました。

 入れた途端、声が出るようになりました。心配されていた声の質も、元の通りです。これだけ話せるのならば歌えるかもしれないと思い、歌い始めました。特別なリハビリをしたわけではありません。言語聴覚療法でも、ひたすら先生と世間話をしました。また、毎日家族や友達が来てくれるので、ずっと話していたように思います。それが良かったのかもしれません。

 もし1つ目を試したときに諦めていたら、今も話すことはできていないかもしれません。歌うなんてできているはずがありません。そうなると、こうやって笑って生活できていないと思います。何かを試すとき、1つ目は失敗しても次はできるかもしれません。私たちは、できる保証がないと諦めたくなります。でも、できないかどうかは誰にも分からないのです。

 このことで、失敗しても何度も試すことの大切さを知りました。


あおの ひろみ
1983年生まれ、京都市出身。
同志社女子大音楽学科卒業。同大音楽学会≪頌啓会≫特別専修生修了。 23歳の時に原因不明の神経性難病を発症し、25歳で気管切開をする。 現在、声楽家としてコンサートに出演するほか講演活動を行う。 著書に「わたし“ 前例 ” をつくります」(クリエイツかもがわ)。