ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。

前例がなければ作ればいい

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

【4】ありがとうの力
「当たり前」のありがたみを知った

青野 浩美さん



 「障害者になる前と後で、何が変わりましたか?」

 私がインタビューでよく聞かれる質問です。「ありがとうと言えるようになりました」と答えます。全く言えなかったわけではありません。しかし、確実にたくさん言えるようになりました。なぜでしょうか。

 私がいい歳になったからというのももちろんあります。思春期の頃は、思っていても言えませんでしたし、そのままずるずると言えないまま大きくなりました。でも、それだけではありません。


気管切開手術前の最後のコンサートで恩師・高橋道子先生から花束を受け取る青野さん(本人提供)
 まず一つは、ありがとうと思えることが増えたことです。当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなる経験をしました。歩けること。話せること。歌えること。これらのことが当たり前かどうかも、考えたことがありませんでした。何も考えずにできていたことだったからです。しかし一度失うことで、これらができることのありがたみを知りました。ということは、他の当たり前だと思っていること、例えば朝が来ること、四季がめぐること、私がここにいること、家族がいること。その全てがありがたいことだと思えるようになりました。

 そしてもう一つは、ありがとうと言う出来事に出会う回数が増えました。私が街に出ると、たくさんの方が手を貸してくれます。エレベーターのボタンを押してくれる人、ドアを開けておいてくれる人もいます。障害を持つ前と比べて、手助けをしてくれる人が増えました。その時々でありがとうと口に出して言います。格段に増えたと思います。

 ありがとうという言葉は、私たちの周りにありふれたものです。でもとても特別なものにも感じます。ありがとうは、言った人も言われた人も幸せな気分になる言葉です。私には2歳半の甥(おい)っ子がいます。家が近いこともあり、毎日家に来ます。かわいいですが、いやいや期真っただ中。「ねぇね、ねぇね」と私のことを遊びに誘ってくれますが、疲れてしまうこともあります。少しイライラしながらも、お世話をしていた時です。「ねぇね、あぁぽう(ありがとう)」。そう言われてはっとしました。その瞬間、疲れを忘れ、イライラしていた自分を恥じました。そのときは、疲れた顔をしていたことで、たった2歳半の子に気を遣わせてしまったのかとまで思いました。きっと本人はそこまでは思っていないと思います。でも、ひとことの「ありがとう」が私の考え方を変えたのに違いありません。

 ありがとうという言葉の力は計り知れないと思います。よくある言葉であるからこそ、これからも意識して言える人でいたいと思います。家族には、それでもまだ足りないぞと言われてしまいそうですが…。また今度は、ありがとうと言ってもらえるような人になっていきたいと思います。そのためにはまだまだやらなければいけないことがたくさんあります。もっともっと磨いていくべきだと感じています。


あおの ひろみ
1983年生まれ、京都市出身。
同志社女子大音楽学科卒業。同大音楽学会≪頌啓会≫特別専修生修了。 23歳の時に原因不明の神経性難病を発症し、25歳で気管切開をする。 現在、声楽家としてコンサートに出演するほか講演活動を行う。 著書に「わたし“ 前例 ” をつくります」(クリエイツかもがわ)。
京都光華女子大在学中。