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京滋のくつろぎスポットをご紹介します。京都滋賀にある素敵なスポットがあれば、ぜひ情報をお寄せ下さい。

「幻の名城」を訪ねて、安土へ(09/03/03)

文・写真 北浦加代子

信長
安土駅で出迎えてくれる信長の像

古くからの習慣や制度にとらわれず、
常に新しい時代の扉を切り拓(ひら)いた戦国大名、織田信長。
今回は、戦争のためではなく、世界の平和のシンボルとして築いたと伝えられる安土城(跡)をはじめ
そのかいわいを訪ねてみました。
地図はこちらをご覧ください

NEWS!! 
安土では、地元50人のエキストラも参加した映画「火天の城」が2009.9/12(土)より全国で公開されます。
あづち信長まつり」の前日祭(5/30)には、原作者の山本兼一氏の講演会も予定しているので、ぜひお楽しみください。



JR安土駅からはじまる歴史散策

まずはJR安土駅前にある観光案内所を目指します。
駅前のロータリーには、唐破風様式の駐在所や、安土町城郭資料館へのアプローチになっている南蛮風天主塔、信長ゆかりの和菓子の老舗万吾楼など、信長への期待をふくらませる建物が並びます。

すもう櫓
近代相撲の発祥とされる安土のすもう櫓
駅から地下道をくぐると右手には、すもう櫓(やぐら)、左手には安土町城郭資料館が見えてきます。
すもう櫓は、元亀元年(1570)に織田信長が常楽寺で相撲(すもう)の興業を開いたことから、近代相撲の発祥とされ、その伝統を後世に引き継ごうと、20年前に城郭資料館と共に建設されたそうです。

城郭資料館には、安土城の20分1のスケールで再現された模型があると聞き、さっそく中へ入ってみることに。

世界初の木造高層建築(高さ46メートル)といわれた安土城。その復元ひな形をつくられたのが、内藤昌氏という名古屋工業大学教授の工学博士です。

5層7階(地上6階、地下1階)の絢爛(けんらん)豪華な城は、電動式で真っ二つに分かれ、吹き抜けになっている城の中央には、仏舎利を収める宝塔が建っています。模型といえども、その姿は圧巻です。
外壁はすべて黒漆塗りで、屋根の妻部分には本を開いて伏せたような千鳥破風(ちどりはふ)と、反曲カーブが印象的な唐破風を据えた瓦葺き。大屋根には黄金色の鯱(しゃちほこ)が載っています。

信長の館
文芸の郷 安土城天主 信長の館
また、館内では天正少年使節(てんしょうしょうねんしせつ)が、信長から託された屏風絵をローマ法王に献上する様子を描いた屏風絵風陶板壁画も見学でき、その絵を背に、安土城を詳しく知るためのDVDも放映されています。2階には「安土文庫」もあり、安土城や織田信長についての書物はもちろん、楽しく学べるクイズ「信長検定」なども用意されていました。

1Fの喫茶コーナーでは、ローマの宣教師が信長に献上したとされるコーヒー「エスプレッソ」と「カプチーノ」が楽しめ、障害者福祉施設きぬがさ作業所の仲間や職員たちが、温かい笑顔でもてなしてくれます。

また、資料館から車で10分ほどのところにある文芸の郷「信長の館」では、安土城の最上部を原寸大で復元した館があり、5階内部に施された「天人影向図(てんにんようこうず)」の天井や、金箔10万枚を再現した6階の外壁、そして「狩野永徳」(かのうえいとく)を中心に描かせたという見事な「金碧障壁画」(きんぺきしょうへきが)の復元も覧ることができます。

安土城下に育まれた自然の観光スポットたち

文芸セミナリヨ
人と文化の交流地・文芸セミナリヨ(音楽ホール)
織田信長の時代、イエズス会の宣教師たちによって開設されたセミナリヨ(神学校)は、キリスト教を広めるための学校であると同時に、西洋の文化を伝える窓口でもありました。安土城炎上の際に焼失し、現在は「セミナリヨ跡」として、推定地の一部が公園になっています。

さらに北へ進むと、左前方には琵琶湖最大の内湖で知られる西の湖、右前方には安土城の本拠地、安土山が見えてきます。 西の湖では信長が宮中の遊びをまねて楽しんだと言われている水郷めぐり(要予約)が楽しめるようになっています。

西の湖
西の湖
また毎年、春になると安土山の麓の江藤の丘一帯では400本ほどのソメイヨシノが咲きそろい、たくさんの観光客でにぎわうようです。

安土町観光案内所では、安土城の外堀を手こぎ和船でめぐる「安土城お堀めぐり」を4月中旬から5月中旬までの土日祝日(雨天中止)に運行しています。

春の彩りいっぱいの水郷から安土城跡を眺めながら、約40分の船上散策が楽しめます。申し込み・問い合わせは安土町観光案内所 TEL.0748-46-7049まで。
安土城址前
安土城跡の門
安土山の桜
安土山の桜(提供:観光協会)


また西の湖の南に位置するくつろぎ空間、常の浜水辺公園は、かつて観音寺城の外港で、大いに栄えた地です。
観音寺が廃嘘となった後も、港としての機能を維持し、昭和の初めごろまで琵琶湖に就航する蒸気船の寄港地として使われたそうです。水郷に沿って橋が架けられ、芝生の上には休憩場などがあります。

付近には数多くのわき水があリ、織田信長の家臣が主君に茶を献上した際に使ったという梅の川という有名なわき水もあるので、立ち寄ってみてはいかがでしょう。


四季折々に楽しませてくれる
沙沙貴(ささき)神社へ

観光協会の女性スタッフのおすすめスポット、沙沙貴神社に向かいます。四季折々に咲く花が女性観光客の人気を集めているのだそうです。

JR安土駅から南方へ10分ほど歩いたところにあるこの神社は、古代の沙沙貴山君、近江源氏佐々木氏の氏神とされた社。近江源氏佐々木氏は、宇多天皇の系譜をひき、源平合戦以降、400年間にわたって近江を治めた安土の偉人で知られています。全国の「ささき」性のルーツともいわれ、京極氏などの旧大名や、旧財閥三井氏、乃木希典(のぎ まれすけ)大将もその子孫とされています。

沙沙貴神社
葦葺の楼門
弘化5年(1848年)に建築された大型木造建築八棟は、すべて重要文化財に指定され、また、随所に佐々木氏の定紋「四ッ目結い」が配されているのも特徴です。

毎年4・5月になると"ささきまつり"が、10月には、先に述べた全国の佐々木源氏ゆかりの人たちがご神前に参集して「舞楽」を奏し、平和と繁栄を祈る"近江源氏祭"が行われるそうです。
貴方の近くにもいらっしゃるはず。この名前にゆかりのある人たちが。

干支神社
干支神社の干支
さらに境内にはユニークな名前の「うらしま草」や、「なんじゃもんじゃ」などの珍しい木々や花々が植えられ、ひとつひとつスケッチしたり、見て回るのも楽しいスポットになっています。※リンク先の花の写真は、沙沙貴神社とは無関係です。

そして本殿の裏手には、干支にちなんだかわいらしい造形御神体が、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)…と並んでおり、訪れる人は自分の干支の御神体の前で手を合わせ、お願いをするのだそうです。


天下統一の夢、虚しく

信長は27歳の時に桶狭間の戦いで今川義元を破り、43歳で念願の五層七重の荘厳な安土城を築く。
その後、家臣の明智光秀に謀反を起こされ本能寺で自刃。現代の私たちからすれば、わずか49歳にして生涯を閉じてしまうなんて、あまりにも早すぎる…と無念さが残ります。
でも、信長にまつわる資料を見ていくと、こんな一節が出てきます。

菜の花 信長は「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか」という謡曲『敦盛』の一説のみを好んで、舞っていた。

人の人生はせいぜい50年…。夢や幻のようである。
それならば、太く、短く、鮮やかに、天下の花を開かせよう…ということでしょうか。

信長の最期の言葉「是非に及ばず」は、あまりにも有名ですが、
「おれはこの世でやるだけのことはやった。しょうがねぇ」という、このひとことに信長のすべてが隠されているような気がしました。

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