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京滋のくつろぎスポットをご紹介します。京都滋賀にある素敵なスポットがあれば、ぜひ情報をお寄せ下さい。
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●「幻の名城」を訪ねて、安土へ(09/03/03)文・写真 北浦加代子
古くからの習慣や制度にとらわれず、 JR安土駅からはじまる歴史散策
まずはJR安土駅前にある観光案内所を目指します。
すもう櫓は、元亀元年(1570)に織田信長が常楽寺で相撲(すもう)の興業を開いたことから、近代相撲の発祥とされ、その伝統を後世に引き継ごうと、20年前に城郭資料館と共に建設されたそうです。 城郭資料館には、安土城の20分1のスケールで再現された模型があると聞き、さっそく中へ入ってみることに。 世界初の木造高層建築(高さ46メートル)といわれた安土城。その復元ひな形をつくられたのが、内藤昌氏という名古屋工業大学教授の工学博士です。 5層7階(地上6階、地下1階)の絢爛(けんらん)豪華な城は、電動式で真っ二つに分かれ、吹き抜けになっている城の中央には、仏舎利を収める宝塔が建っています。模型といえども、その姿は圧巻です。 外壁はすべて黒漆塗りで、屋根の妻部分には本を開いて伏せたような千鳥破風(ちどりはふ)と、反曲カーブが印象的な唐破風を据えた瓦葺き。大屋根には黄金色の鯱(しゃちほこ)が載っています。
1Fの喫茶コーナーでは、ローマの宣教師が信長に献上したとされるコーヒー「エスプレッソ」と「カプチーノ」が楽しめ、障害者福祉施設きぬがさ作業所の仲間や職員たちが、温かい笑顔でもてなしてくれます。 また、資料館から車で10分ほどのところにある文芸の郷「信長の館」では、安土城の最上部を原寸大で復元した館があり、5階内部に施された「天人影向図(てんにんようこうず)」の天井や、金箔10万枚を再現した6階の外壁、そして「狩野永徳」(かのうえいとく)を中心に描かせたという見事な「金碧障壁画」(きんぺきしょうへきが)の復元も覧ることができます。 安土城下に育まれた自然の観光スポットたち
さらに北へ進むと、左前方には琵琶湖最大の内湖で知られる西の湖、右前方には安土城の本拠地、安土山が見えてきます。 西の湖では信長が宮中の遊びをまねて楽しんだと言われている水郷めぐり(要予約)が楽しめるようになっています。
安土町観光案内所では、安土城の外堀を手こぎ和船でめぐる「安土城お堀めぐり」を4月中旬から5月中旬までの土日祝日(雨天中止)に運行しています。 春の彩りいっぱいの水郷から安土城跡を眺めながら、約40分の船上散策が楽しめます。申し込み・問い合わせは安土町観光案内所 TEL.0748-46-7049まで。
また西の湖の南に位置するくつろぎ空間、常の浜水辺公園は、かつて観音寺城の外港で、大いに栄えた地です。 観音寺が廃嘘となった後も、港としての機能を維持し、昭和の初めごろまで琵琶湖に就航する蒸気船の寄港地として使われたそうです。水郷に沿って橋が架けられ、芝生の上には休憩場などがあります。 付近には数多くのわき水があリ、織田信長の家臣が主君に茶を献上した際に使ったという梅の川という有名なわき水もあるので、立ち寄ってみてはいかがでしょう。 四季折々に楽しませてくれる
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葦葺の楼門 |
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干支神社の干支 |
信長は27歳の時に桶狭間の戦いで今川義元を破り、43歳で念願の五層七重の荘厳な安土城を築く。
その後、家臣の明智光秀に謀反を起こされ本能寺で自刃。現代の私たちからすれば、わずか49歳にして生涯を閉じてしまうなんて、あまりにも早すぎる…と無念さが残ります。
でも、信長にまつわる資料を見ていくと、こんな一節が出てきます。
信長は「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか」という謡曲『敦盛』の一説のみを好んで、舞っていた。
人の人生はせいぜい50年…。夢や幻のようである。
それならば、太く、短く、鮮やかに、天下の花を開かせよう…ということでしょうか。
信長の最期の言葉「是非に及ばず」は、あまりにも有名ですが、
「おれはこの世でやるだけのことはやった。しょうがねぇ」という、このひとことに信長のすべてが隠されているような気がしました。
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