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支えた若者7000人
愛の奨学金 京都新聞社会福祉事業団
(2011/08/30)

 家庭の事情で、進学や学業の継続が困難な若者を支援するため、京都新聞社会福祉事業団では「愛の奨学金」活動を行っている。1965(昭和40年)の開始からこれまで、奨学金を受け取った若者は延べ約7000人に上る。このところの経済情勢を反映してか、申請する若者の数は増える半面、寄付金の減少で給付対象者の枠は年々狭まっている。奨学金を取り巻く実情を紹介する。



寄付金減少、給付枠狭まる
経済情勢悪化・震災・・・申請は増加


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贈呈式で奨学金を受け取る若者(7月9日、京都新聞社)
 「愛の奨学金」は「誕生日おめでとう」コーナーと「奨学金」協賛寄付金によって、主に支えられている。

 額は大学・専門学校生に年14万4000円、高校生に年7万2000円で返済不要。

 申請する若者は▽保護者が交通事故や病気で亡くなった▽保護者が失業中か病気療養中▽家庭の事情で養護施設に入っている―などの事情を抱え、中でも母子家庭が半数以上を占める。今年は東日本大震災の被災者で京滋に避難している高校生2人からも申請があり、今後も増える見通しだ。

 10年度は高校授業料が無償化されたが、教材費やPTAの費用など関連経費の負担は今も重い。

 応募の手続きには「本人と保護者の申請書」「将来の夢を記した作文」「成績証明書」「保護者の所得証明書」、高校生は担任の先生による「学校生活所見書」―の提出を求めている。

 5月中旬の受け付け後、大学教授(福祉)や子育て支援団体代表ら3人の選考委員が家庭環境、成績、奨学金の活用方法をもとに判定。枠に入った若者には7月の贈呈式で手渡す手順だ。

 奨学金の使途については「全額、学費に使います」(大学生)、「進学に向けて試験の費用に」(高校生)、「参考書や問題集をたくさん買います」(同)などの声が上がる。

 こうした中でリーマンショックや雇用情勢の悪化もあり、年収300万円以下の家庭は増加。東日本大震災で実態はさらに深刻化しそうだ。奨学金の状況にも反映しているのか申請数は2009年度から300人を超え11年度は350人に達した。半面、支えとなる寄付金は減少傾向で、「誕生日おめでとう」「奨学金」協賛の合計額は2006年度に1395万円あったのが10年度は824万円に落ち込んだ。

 このため11年度の支給対象者は6年ぶりに100人を割り、88人に絞らざるを得ず、活動そのものが転機を迎えたと言えそうだ。

 「愛の奨学金」にはこのほか養護奨学奨励金もあり、11年度は京滋の15養護施設の高校生143人に1人3万円が贈られた。



寄付金呼び掛けたい


 事務局を務める高岡俊裕・京都新聞社会福祉事業団チーフプロデューサーの話 応募書類を受け付けているとその人の境遇が読み取れる。切実な事情はみんな共通しているのに枠の関係で絞らざるを得ないのは、本当に残念な思いだ。若い人の夢を実現するため長年続けてきた活動で、期待もひしひしと感じており、今後とも一人でも多くの人に支援が行き渡るように、寄付金を広く呼びかけたいと思っている。



勉学の支え、自信を持ち応募を…先輩の声


 「愛の奨学金」を受け取った若者はその後の人生にどう役立てたか。2人の「先輩」に話を聞いた。

 中京区で弁護士を営む竹下義樹さん(60)は中学3年で途中失明。法律家を目指したが障害のため録音用テープ機材や、音訳ボランティア用の法律専門書など特別な出費が多かった。

 司法試験に通るまでの約10年間は、病院でマッサージのアルバイトをしながら学業に励む日が続いた。「愛の奨学金」は1970年ごろに3〜4年間受け取り、当時の生活の支えになったという。

 保険事務の仕事に就く山口琢馬さん(27)=左京区=は母子家庭で3人兄弟の長男。京都産業大に通っていた2004年から2年間受給し、通学の交通費をほぼまかなった。家の負担が減り気持ちに余裕ができたという。

 山口さんは、寄付した人に感謝し、助け合いの気持ちが循環するようにと、大学時代から京都新聞社会福祉事業団のボランティアに参加し、社会人になってからも続けている。

 竹下さんは奨学金の制度について「今後も夢を追い求める人の支えであってほしい」と期待。山口さんは後輩の奨学生に「家庭の困難があってもためらわずに自信を持って応募してほしい」とエールを贈っている。