ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
やすらぎトーク

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女性の感性を生かした和風小物製品は、けっこう人気がある


厳しくもやりがい糧に 解消したい将来の不安


共同作業所サリュ所長
北村 麻衣さん(2009/09/15)



《二条城に近い、京都市上京区の一軒の町家、入り口にのれんが掛かる。そこが共同作業所(地域活動支援センター)サリュだ。「来はる人はおばあちゃんの家みたいで、ほっこりするとおっしゃいます」という北村さんは27歳、所長になってまだ1年たっていない》

 小規模な作業所では、若い所長さん、施設長さんが増えてます。ある年代になると転職する人が多いので、若い世代の施設長さんが多くなるのです。

 仕事が厳しいのもあると思いますが、大きな原因はやっぱり経済的な問題です。結婚しても家族を支えていくための収入面で不安があるからです。たいていの作業所では昇給もありませんし。

 私もいつまで続けられるのかなと不安になります。任されている仕事は責任もあり、やりがいがあります。規模は小さくてもここを居場所と感じている人がいる場が消えるのは大問題です。厳しさを感じながらも、でもやっぱりやっていこうと…。



「無力でも何かできる」

《北村さんの転機は大学在学中にやってきた。好きな菓子づくりでボランティアをと、精神科のデイサービスを訪れて、精神保健福祉士の仕事とめぐり合う。専門学校に通って資格を取り、2005年にサリュの非常勤職員になる》


「たくさんの人に来てもらえる場所にしたいです」(写真・遠藤基成

 最初は予備知識もなく、身構えていました。でもみんな明るく、皆さんから自然で自分らしくしていればいいと教えられて、楽しく菓子づくりができました。仲良くなるにつれてものすごくしんどかったこと、死にたいと思ったことなどを話してもらえるようになって、どうやって元気になっていかはったんやろ、と思って勉強したくなりました。

 作業所の職員として仕事をするのに、これまでの自分の経験で無駄なものはないんやというのが実感です。昔遊んだことも家族間でいろいろあったことも役立っています。同時に自分は無力だなあと気が付きました。でもそこから自分に何ができるのか、自分の役割は何かと考えるようになりました。「無力だけど何かできることもあるんと違う」という考え方が、支援の基本だと思っているんです。

《サリュはフランス語で「やぁ」などあいさつの意味がある。精神科や神経科に通う女性で男性を苦手とする人らが気軽に集まれる場所を目指して02年に開所した。特定非営利活動法人Salut(塚崎直樹理事長)が運営する。女性中心の作業所ということが知られ、遠方からやってくる人も増えている。主な活動は、多彩な柄のビニール素材を使ったポーチやエコバッグ、和紙で作った舞妓人形に一筆箋(せん)を入れて送る文人形など、京都らしいオリジナル小物類の製作だ。このほか中高年女性のためのパソコン教室なども開く》

 ここに通って来はる人も私たちスタッフもみんな女性です。閉鎖的になりがちで、私はそこに違和感がありました。みなさんの能力を生かすためにも、もっと外部の人とのつながりを深めていこうと努めてきました。誰でも参加できる映画会などのイベントを開いたりして、ご近所にも私たちのことが知ってもらえるようになったと思います。

 女性同士で話しやすく安心できる居場所であることは、ここの大きな利点です。でもそこにとどまってしまっては社会と前向きにつながることが難しくなってしまいます。ジレンマですが、どうバランスをとっていくのかは悩みですね。



自立支援法 大きな悩み

《もっと大きな悩みもある。障害者自立支援法で小規模共同作業所から地域活動支援センターとなったが、再来年には就労継続支援B型事業所などの形態に移行するよう迫られている。施設の定員ではなく利用者の利用日数によって補助金が決まるなどで減収となる恐れがある》

 月に1回、スタッフと利用者が集まって座談会を開いていますが、テーマはサリュがなくなってしまわないように、新しい事業をどう展開していくかです。収益をあげなくてはならないので、町家を利用して雑貨店を開くとか、修学旅行生を対象にした体験施設はどうか、いろんな声が出ています。

 とにかく課題は山ほどです。でも決して暗くならずに前向きに楽しくやっていきたいですね。なんとかなるよとやっていくしかないやん、そう思っています。



きたむら まい
1982年京都市生まれ。京都市立紫野高校を経て京都産業大、大阪医専を卒業。2005年に共同作業所サリュの職員となり、08年11月から施設長。精神保健福祉士。