ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ともに生きる

京都新聞社会福祉事業団
50周年記念フォーラム

 

立ち止まって「観る」

真宗大谷派僧侶
川村妙慶さん


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 この11年間、ネットで悩みを聞き、1日200通のメールに返信している。悩む人には共通したものがあり、それは「答えを持ってしまう」ということ。「人生で一つも良いことはなかった」「私は悪くないが、あの人は悪い」と決めつけている。答えを持ったところから成長心はストップする。辛いことがあれば、そこで立ち止まって自分の胸に問い聴いてほしい。「正」には、立ち止まる意味がある。

 仏教では「観る」ということを大切にする。肉眼で「見る」のは外のものしか見えないが、幅広い視野で「観る」ことだ。相手の声に耳を傾け、相手の気持ちを受け止める心を持つこと。心の点検をすることで生き方が豊かになる。その一つが自我の「我」だ。我は自力では取れないが、固まってしまう我から解放されて、柔軟に生きることが大切。また、地獄はあの世にあるのではなく、自分が作り出している世界だ。地獄の中でも最も苦しいのが「想地獄」。想い通りにならないことで悩む地獄だ。世の中は想い通りになることもあれば、ならないこともある。両方あっての人間だ。想いにとらわれないでほしい。ご縁にまかせ、今を大切に生きたら、一つひとつのことがつながってくる。

 私は10代の時に自坊の住職だった父を亡くし、京都の池坊短大に進学した。そのあと、東本願寺の経営する大谷専修学院で昼夜問わず真宗の教えを学んだ。ある夜、仲間と勉強していたら、外でバイクのエンジンをふかす若者の集団がいた。仲間が注意しに行こうとしたら、「エンジンの音から聞こえる如来の本願が分からぬか。若者たちの寂しさ、行き場のない悲しさが聞こえないのか!」と先生からこっぴどく叱られた。「大悲心」というのは悲しみの心を知ること。人の悲しみにも目を向けられる人になってほしい。

かわむら・みょうけい 1964年北九州市生まれ。アナウンサーとして活躍後、僧侶に。結婚して京都に。ネットに「妙慶の日替わり法話」を開設し、心の悩み相談に乗る。京都新聞に「暖流」を連載中。著書多数。京都市上京区の正念寺住職夫人(坊守)。