2020.06.29
2020.06.29
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
弁護士 尾藤 廣喜
6月15日に、わが家にもいわゆる「アベノマスク」がやっと届いた。同封された中には、配布を受けた私たちに「新しい生活様式」の実行をお願いしますとあった。
確かに、コロナ対策として、ソーシャルディスタンスをとること、手洗いの励行など新しい生活様式を私たちがとる必要があることは十分に理解できる。しかし、新しい生活様式が求められているのは、私たちだけなのだろうか。
4月18日、19日そして6月6日と私たち弁護士、司法書士、社会福祉士などで「いのちとくらしを守る何でも相談会」を開催した。全国から1回目は5009件、2回目には1125件もの電話相談があった。
その中で、一律10万円の給付と雇用調整助成金だけでは生活がなりたたない、持続化給付金の支給や家賃支援などの対策が遅すぎるなどの不十分な「補償」の問題が指摘された。また、感染が強く疑われる人についてもPCR検査が受けられないこと、コロナ感染者の医療体制が全く不十分な実態も明らかになった。一方、病院経営者からは、感染者を受け入れれば大赤字、感染者に対応しない場合でも、感染の恐れからの受診抑制で、深刻な経営危機が訪れているとの訴えも多く寄せられた。介護の現場も崩壊寸前だ。
また、大学生の5人に1人が退学を考えざるを得ない状態で、1割の学生にしか給付されない支援金、保育所・幼稚園の休みによる保護者の負担、小中高校の長期休校による学習の遅れと教育格差の拡大も大きな問題となっている。そして、生活を最後に支える生活保護制度でも、窓口で申請を追い返す事例の相談も後を絶たない。コロナ禍は、削りに削られたこの国の社会保障のもろさ、雇用保障と教育への公的負担の脆弱(ぜいじゃく)さをあぶりだしたのである。
緊急事態宣言が解除され、経済・社会生活が再び動きだそうとしている今、「新しい生活様式」が求められているのは、むしろ「公」の側ではないだろうか。
びとう・ひろき氏
1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。