ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

悪口

真宗大谷派僧侶  川村 妙慶



ある部屋からおしゃべりに花を咲かせている人たちの話が耳に入ってくると、実はその場にいない人の悪口だったということがあります。漫才でも会合の席で中座をすると自分の悪口を言われるというネタがあるくらいです。

ではなぜ悪口を言ってしまう人がいるのでしょう。人間には慢(他人と比較する心)があります。

自分より有利な環境に生きている人を見ると、自分が損した気分になり不満を抱えます。その腹立たしさを態度に出すとなると、集団での和を乱すことにもなりますし、それは大人げないということはわかっています。そこで悪口を言うことで自分の価値を認めてもらいたいとなるのです。

仏教では、悪口は口の業の一つで、「現実を受け入れられない心の弱さ」だと教えてくださいます。どれだけ愚痴をこぼしても、状況は変えられないのです。

お釈迦(しゃか)様の時代の話しです。多くの人たちから尊敬されるお釈迦様をひがむ男がいました。その男は群衆の前でお釈迦様を罵(ののし)れば、きっと逆上して言い返すだろう。その醜い姿を見せつけたことでお釈迦様の人気が下がることを計算したのです。いよいよ男はお釈迦様の前に立ち、罵倒します。お釈迦様は、ただ黙りその男の悪態を聞いていました。男が疲れた所を見て「あなたは私のことをひどく罵った。でも、私はその言葉を受け取りません。あなたが言ったことは、すべて、あなたが受け取ることになるのですよ」と。悪口を言うということは心に怒りを抱えています。怒りを抱えるということは、心は暗い状態です。そんな心に本当の喜びはありません。

私は、発した言葉で「心の状態」がわかるようになりました。脈拍をみると健康状態がわかるように、人間から出る言葉は心の脈拍ではないでしょうか。

悪口をいうと悪い空気が蔓延(まんえん)し良い考えは浮かびません。違いを認め合う関係が持てた時、それぞれに笑顔の花が咲くことでしょう。



かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。