ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

仏面鬼心はご勘弁

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎



外見は怖そうでも内面には仏のような心が宿っていることを鬼面仏心(きめんぶっしん)と呼びます。派生語に「慈悲の心があるからこそ、むごたらしい手法をあえて用いる」という意味の鬼手仏心(きしゅぶっしん)があります。人の体を切ったり縫ったりして治療する外科医はまさに鬼面仏心や鬼手仏心の体現者です。

私が医師として駆け出しの頃は先輩や恩師に非常に厳しい叱責(しっせき)や指導を受けたものです。なんとか1人前の医師に育てたいとの優しさゆえの鬼面に今も感謝しています。どこの家庭や職場でも鬼面仏心的な接し方はときに必要でしょう。鬼面の奥にひそむ仏心に気づけばつらさも前向きな気持ちに転換します。

仏面仏心(ぶつめんぶっしん)つまり思いやりの心から柔和な態度を示してくださる人は最高ですが、そんな奇特な人や組織は世の中に多くはないので、むやみやたらと仏面仏心を求めるのは控えましょう。

無慈悲な心で冷たい仕打ちをする鬼面鬼心(きめんきしん)と付き合うのは嫌ですね。ただそういう相手は非常にわかりやすいだけに、堂々と抗議もできるし、いざとなれば関係をこちらから断てばよいので、早い段階で被害を食い止めることができます。

最も厄介なのが仏面鬼心です。患者さんの病欠からの復職に際してさまざまな企業の動きを観察するなかで最近痛感するようになりました。どこも「元気になって戻ってきてもらいたい」と仏面で復職案を提示してきます。しかし子細に内容を検討すると、ごく一部の大企業では「復職までの期間が長すぎる」「復職のハードルが高すぎる」などが判明し、精神科医の目には「早く辞めさせたい」という鬼心が見える場合があるのです。それでも職場に文句は言えません。心のありようは証明できないからです。

企業経営が昨今どこも厳しいことは重々承知していますが、復職させる気はないのに当事者に期待させるだけの仏面は残酷です。せめて鬼心と仏心の中間くらいで待っていただけないものでしょうか。企業経営者各位、ご高配下さい。


しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。