ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

回復できる病気と知って
アルコール依存患者支援(23/01/16)

松本 浩二まつもと こうじさん


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「自助グループへの最初の一歩を、ぜひ踏み出しほしい」と語る松本浩二さん(18日、草津市・市立市民交流プラザ)
 飲酒をやめたいのにやめられず、日常生活に影響してしまう―。アルコール依存症に悩む患者や家族が、あとをたたない。公益財団法人全日本断酒連盟・滋賀県断酒同友会の会長を務める松本浩二さん(69)も、苦しんだ経験をもつ一人だ。「アルコール依存症は誰でもなりうる。決してだらしないからではなく、真面目で抱え込む人も多いこと、回復できる病気であることを知ってほしい」。そんな思いで、会の活動に力を入れている。

 現在、会員は20代から80代までの男女85人で、家族会員が60人。県内の各地域で例会を開いている。本人や家族が体験を語りながら気持ちを整理したり、人の話を聞いて回復の方法を模索したり。定期的に通うことで断酒に成功する人が少なくない。

 松本さんが入会したのは13年前。以来断酒を続けているが、苦しい期間も長かった。20代の頃から、仕事のストレス解消のために毎日大量に飲酒。40代半ばには、酒を飲みたいがために仕事を早く切り上げるようになった。やがて、度々仕事を休む期間が続き、53歳で仕事に行けなくなった。「行かなきゃと思っているのに、体が行かない。そのときは、酒が原因とは分からなかったですね」

 内科と精神科にかかり、「うつ病」の診断で2カ月間の休職。抗うつ剤を飲みながら飲酒も続けた。復職後、食道静脈瘤(りゅう)破裂という大病にも罹患(りかん)し、1カ月入院したが、その後も飲酒はやめなかった。「自分を保つ方法が飲酒しかなかった」。家族にも苦しい胸の内を言えず、何度も自死を考えた。

 転機は、大病の1年後。会社から退職勧告を受け、「仕事を続けたい」と強く思った。原因を探り、初めて酒害を疑い、滋賀県立精神医療センターを受診。アルコール依存症と診断されて断酒を決心し、同会に毎週足を運び、仕事も休まず65歳まで全うした。

 断酒後1年は、店の商品やCMを見ると飲みたい衝動にかられた。だが、同会の先輩から教わった我慢の方法を実践できると、「酒は自分のものじゃない」と思えるようになった。「酒は日常にあるもので、そばにあってもリラックスしてやめ続けることが大事」。その力になったのが同会だ。飲酒の話に触れて免疫をつくり、苦しかった自分を忘れず断酒への気持ちをつくり直す。そのプロセスを繰り返した。

 会員の中には、激しい気性で断酒は難しそうに見えたがスパッとやめた人、1回の体験発表をきっかけに3カ月断酒中の人もいる。「断酒会には種が落ちていて、誰でも拾って自分のものにできる」。松本さんはそう実感する。

 「同会の家族向けアンケートで、『本人に死んでほしいと思ったことがある』が約95%、『殺そうと思ったことがある』も約50%にのぼるデータを見て驚いた記憶がある。家族の苦しみも深刻」。松本さんは、自分がなんとかしなければと思って疲弊してしまいがちな家族の状況を憂う。「断酒会には理解者がいる。困っていたら家族だけでも相談しに来てほしい」と切に願う。

 「自助グループは意外と身近にあるので、会合やイベントにぜひ顔を出して」と松本さん。2月には、公開セミナーも予定している。

(フリーライター・小坂綾子)