ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

優れた感性生かしたい


NPO法人「障碍者芸術推進研究機構」
(天才アートKYOTO)

副理事長 重光 豊さん



 教室に入れず、入っても落ち着けない生徒。授業中に飛び出し、担任が慌てて後を追う。2004年、京都市立総合支援学校の再編当時、教室ではそんな光景が見られました。

 呉竹総合支援学校(伏見区)の校長だった私は、対応を考え込む毎日でした。ある日、落ち着けない生徒の一人が、休憩時間中にじっと集中していました。懸命に絵を描いていたのです。


色鉛筆、アクリル画、粘土造形などさまざまの作品が生まれる「天才アートKYOTO四条・新道」のアトリエ。次は「陶芸も始める方針」と話す重光豊さん(京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町)
 はっと気付きました。「自分の得意なことなら着席できる。これだ。本人の自由にさせるアート創作の授業をやってみよう」

 発達障害などがある人の中には、芸術分野の表現力に優れ、独自の感性や鋭い色彩感覚を発揮する例が多くあります。知能指数(IQ)だけで人の能力は測れないのです。

 そのころ、文部科学省から障害がある人の芸術的才能を発掘する研究委託の募集があり学校で応募。プロ画家や芸術系大学の専門家を招き、自由創作の授業を続けました。生徒たちは、短期間のうちに水彩画や粘土造形などで、誰もが目を見張る作品を次々に生み出しました。

 私は長い教員生活を通じ、一貫して生徒の主体的学習意欲を引き出す教育を目ざしました。小学校から養護学校(当時)へ職場を移したのは、家庭訪問で病弱児の厳しい生活実態を目の当たりにしたからです。移ってみると養護学校では、生徒をかまいすぎて主体性を損ねている面があることに気付きました。

 呉竹総合支援学校で始めた自由創作の授業は主体的な学習の一環でした。思い通りに創作して達成感を得た生徒たちは、納得して他の授業を受けられるようになり、苦手な掃除もこなすまでに変化を遂げたのです。

 効果を見届けた私は退職時期とも重なり創作現場からは離れました。ところが、才能を発揮した生徒たちも卒業後は創作の場を失い、大半はアートと縁が切れていることが分かりました。

 「才能を生かせる道を」と、芸術分野や私たち教育関係者が立ち上がり、障害者の芸術を支援する機運の高まりも手伝って11年に設立されたのが障碍(がい)者芸術推進研究機構です。

 機構は、総合支援学校の生徒や卒業生を含め才能ある人たちに、自由に創作してもらう場を提供します。12年からは学校統廃合で空いた元新道小学校(東山区)にアトリエを開設。毎月約10回の制作日を設け、作品展示会も数多く開催しています。現在の所属作家は16歳から54歳までの45人。長年、引きこもりだった人の参加が増えているのはうれしい限りです。

 過去に完成した作品3千点のうち約半数は、アーカイブ化して企業の製品や商業広告などに利用できる態勢を整えました。財政基盤を固め、所属作家の収入に確実につなげる場に育てるため、今後も有効な取り組みを進めたいと考えています。


しげみつ・ゆたか
1948年、大阪市生まれ。京都教育大卒。京都市立小学校の教員となり桃陽総合支援学校などを経て98年に呉竹総合支援学校へ。生徒の芸術的才能を伸ばす自由な授業などを展開。同校校長を退職後の2010年、障碍者芸術推進研究機構の創立に参加した。京都市教育委員会総合育成支援課参与。