ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

自死考え直す機会になれば


認定NPO法人
「滋賀いのちの電話」
理事長 三上 房枝さん



 ここ10年ほど減少傾向が続いていた国内の自死総数は、コロナ禍に見舞われた昨年、2万1081人(厚労省調べ)と増加に転じました。中身を見ると男性の微減に対し、女性は7026人と前年に比べて15%も増えているのです。

 蓄えが少なく子どもを抱え1人で働いているような暮らしの安定度が低い女性たちに、コロナ禍のしわ寄せが直に及んでいるのではないか、と危惧しています。経済的な支援や生活保障の制度充実が望まれますが、男女を問わず思い悩んで自死を考える人には、まず考え直してもらう機会の提供が欠かせません。


「開局から14年目、電話相談員さんのチームワークはすばらしく、支援のネットワークも広がってきました」と喜ぶ三上房枝さん(守山市梅田町・県看護連盟事務局)
 「滋賀いのちの電話」は、私が滋賀県庁在職中に、提案したいきさつがあります。多くの人々の努力で2008年から始動、基礎を固め運営を軌道に乗せてくださった前任の理事長さん2人の後を受け、昨年6月から私が理事長を引き受けました。年間4000本以上の相談電話を受けますが、健康危機の今、果たす役割は一層高まったと自覚しています。

 私は高校を出て、看護師に加え保健師の資格を取り、滋賀県職員となってからは県庁と保健所で交互に勤務しました。保健師に目が向いたのは、大阪で看護師をしている時、母がリウマチを患い入院したからです。いつもハードな農作業を続ける姿を見ていたので「治療より予防こそ重要」と悟ったのです。

 県庁では行政保健師として保健医療や長寿社会に向けた計画づくり、施策立案などを担当。県初のがん対策推進計画策定に加わり関係機関との意見調整に神経をすり減らした思い出もあります。同じころ、自殺対策推進計画を立てることになり、出合ったのが「いのちの電話」でした。

 当時、滋賀を含めいのちの電話がないのは6県でしたが、5県は何らかの防止策を打ち、何もないのは滋賀だけ。「これは絶対に必要」と直感して、県助成事業として委託できる団体の設立を各方面にお願いしたのです。お手本にしたのは、社会福祉法人「京都いのちの電話」(京都市)でした。事務局の方々に一から教えていただいたおかげで06年の設立準備委員会、2年後の電話開局につながり、今も感謝の気持ちを忘れることはありません。

 開局14年目のことし、電話を受ける相談員は100人に達しています。全員20歳以上のボランティアですが、命や人権にかかわる微細な対応力が必要で研修養成には約2年かかり、現在は14期生9人の認定式を終えたところです。コロナ禍もあり、この9月からは相談日=077(553)7387=を1日増やし、毎週金土日月曜の午前10時〜午後8時半としました。

 公務員時代、仕事で深夜帰宅も度々だった私は、一市民としての社会貢献をパスしてきました。今の仕事はその穴を埋める意味でもやりがいがあり、より多くの人の命を救える事業として次世代につなげていくつもりです。


みかみ・ふさえ
1950年、大津市生まれ。滋賀県立看護専門学校卒。75年、保健師として旧志賀町役場に就職。78年、滋賀県に入り今津保健所、健康づくり支援室長などを経て2011年、県立総合保健専門学校長を最後に退職。20年から「滋賀いのちの電話」理事長。県看護連盟副会長。大津市在住。