ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
来た道 行く道

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。


誰もが 地域で 自分らしく


NPO法人就労ネットうじ
副理事長(ゆめハウス前所長)

江嵜 美子さん



 障害のある子どもたちは、年齢が進むに従って次々に新しい課題に直面します。「一人一人に、その時々の課題に合わせた支援が用意され、地域の中でその人らしく生き生きと暮らせるようにしてあげたい」。母親の一人として考え、宇治市でおよそ半世紀、活動してきました。


「障害のある子どもたちの支援活動は、本人のその時々の課題に応じて行うべき」と話す江嵜美子さん(11月19日、宇治市内)
 NPO法人就労ネットうじ「ゆめハウス」(宇治市宇治若森)は、就労継続支援A型とB型の事業所認可を受け、現在、30人余の利用者さんが働く大きな施設になっています。その前身は、障害のある子どもを持つ私たち親が1999年、宇治市内に民家を借りて開設した「ふれあいルームゆめハウス共同作業所」です。

 当時、養護学校を卒業すると大半の子どもは行き場がなく、共同作業所は地域に必須の場所でした。共同運営者の鷺勝子さんと共に「だれでも出入りできて、共に働いたりお茶を飲んだりできる場に」と、工夫を重ねました。

 子どもから大人まで利用者さんは常時5〜6人あり、知的障害や自閉症など障害はさまざま。家賃を捻出するため、組みひも製品の仕上げ作業のほか、クッキーやパン作りに力を入れ主力製品に育てました。全員で粉を練ってオーブンで焼き、小学校などで販売するのです。公的助成が一切なく台所は苦しくとも、何にでも挑戦できる自由さが貴重でした。

 無認可のまま約12年が過ぎたころ、宇治警察署南側の現在の場所に移転。カフェやランチの仕事も始めたのです。「接客のあいさつから調理まで、利用者さんが自分のできる役割を果たしてくれたら」と期待しての取り組みでした。訪れる地域の人々との絆は深まりましたが、無認可で運営を続けられる時代ではなくなり2017年、「就労ネットうじ」さんと合併したのです。

 私は高校を卒業後、京都府警の第1期婦人交通指導員として約13年勤めました。指導員は紙芝居や人形劇を自作して子ども安全教室で披露する機会が多く、この経験が後に障害のある子どもたちに読み聞かせなどをする時、大いに役立ちました。

 結婚して宇治市に住み、息子が誕生。聴覚と手足に障害があり、養育に専念するため仕事を辞め最初に加入したのが「宇治市障害児・者父母の会」でした。ここで知り合った母親同士で、手作りおもちゃで遊べる「宇治おもちゃ箱」の活動に参加。1995年には、市内の新たな居場所となる「こもれび」(現・社会福祉法人こもれび)の開設に参画しました。

 ことし80歳を迎え「ゆめハウス」を退き、週1回だけお手伝いに通っています。息子は府立聾学校を出て企業就職した後、ゆめハウスでも働いてくれました。今はコーヒーマスターの資格を生かし「小さいお庭カフェ」の開店を目ざし準備中です。息子の独立を見守る一方、子どもたちの支援で、まだ私に果たせる役割があるなら微力を尽くすつもりです。


えさき・よしこ
1942年、旧満州(中国東北部)生まれ。高校卒業後、京都府警婦人交通指導員として勤務。長男を出産後、宇治市で障害のある子たちの支援活動に携わる。99年、ふれあいルームゆめハウス共同作業所を開設。その後、NPO法人「就労ネットうじ」と合併した。ことし3月に退職、同法人副理事長に就く。宇治市在住。