ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
来た道 行く道

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。


産後の孤立予防が原点に


一般社団法人「日本ファミリーナビゲーター協会」
代表理事 田中 美賀子さん




「次は、産後の母親のためのデイサービスができる場をつくりたい」と語る田中美賀子代表(亀岡市保津町)
 子育て支援は、今や国政の最重要課題ですが、産後の母親が相談相手もないまま、育児に悩み孤立と不安を募らせている例は決して少なくありません。

 「孤立予防の仕組みを確立させ、地域で安心して子育てができる環境を整える」。25年前、亀岡市で子育て支援活動を始めた私は、それを主要テーマに取り組み、2019年に設立したのが「日本ファミリーナビゲーター協会(ファミナビ)」です。子育て家族の土台づくりと、笑顔の家庭が増えるお手伝いをしたいと願い、活動の全国展開を進めています。

 私が子育て支援の道に進むきっかけは、32歳で次男を産んだ直後の孤立感でした。京都市内から実家のある亀岡にUターンしたばかり。仲間を求め近隣の母親5人で子育てサークルを始めたところ、集まっておしゃべりするだけで気持ちが救われ、「話せる場」の確保が重要と気付きました。

 ある時、有志でつくる支援組織「亀岡子育てネットワーク」の交流会に次男を連れて参加。社会的な課題にも取り組む姿勢に刺激を受け、メンバーに加わったのです。子育て支援情報が乏しい時代で「相談窓口の一覧なども載せた情報誌を作ろう」と決め、みんなで作業に没頭。発刊後の反響が大きく、情報提供の必要性を痛感しました。

 ネットワークの理事長に推された2年後の09年、NPO法人化を実現。普及し始めた携帯メールで子育て情報発信を始めたのもこのころです。登録会員は4千人に達し、宇治や舞鶴など府内の支援団体ともつながり、活動が広がったのです。

 走り続けて50歳になり、一度、活動を整理しようと立ち止まって考えました。「産後の母親の社会的孤立予防」という自らの原点に立ち戻って出した答えは、学び直しでした。同志社大大学院のソーシャル・イノベーションコースに社会人学生として3年間通学。研究の一環で行ったフィンランドの子育て現場視察は、事後の活動の大きな糧になりました。

 社会全体で子育てする体制が整備されているフィンランドには、妊娠時から家族全体を担当する専門職「ネウボラ」(通称・ネウボラおばさん)が、伴走支援する施設がありました。夫婦の関係づくりと協力育児が基本となることも教えられ、これらは現在、「ファミナビ」が進める支援カリキュラムの骨格になっています。

 大学院在学中には、亀岡市子育て世代包括支援センターの開設に参画。市の嘱託職員として2年勤め、子育て相談、母子手帳交付などに走り回りました。

 より緻密な支援として、これから実現したいのは孤立予防へ、キャリアコンサルタントが伴走する「産後のデイサービス」です。お風呂や食事があり、産後の母親がゆっくり心身を整え次の一歩を踏み出せる場所。自分らしい子育てで、人生を豊かに過ごしてもらうためにも、ぜひ形にしようと構想を練っているところです。


たなか・みかこ
1964年、亀岡市生まれ。32歳から亀岡市で子育て支援活動を始め、NPO法人亀岡子育てネットワークの代表に。2016年、亀岡市子育て世代包括支援センターの開設に参画。日本ファミリーナビゲーター協会のほか、キャリアコンサルタント資格を生かした研究所も運営する。府少子化対策審議会委員。亀岡市在住。