ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

社会の真ん中で輝くために

社会福祉法人しがらき会
前理事長
 林 晋さん




「利用者さんの創作作品による海外交流展は、今後も応援していきたい」と語る林さん(甲賀市信楽町の信楽青年寮)
 施設で暮らす障害のある人たちが、昼間は外に働きに出てお金を稼ぎ自立を目ざす。そんな取り組みを半世紀以上も前に実現させていたのが、信楽青年寮(甲賀市信楽町)です。

 青年寮は主に知的障害のある成人向け支援施設です。今は10代から80代まで約80人の利用者さんが暮らしています。1955年に開設され、70年から社会福祉法人「しがらき会」の運営に移行。私は25歳で職員になり今年6月の退任まで18年間を法人理事長として業務全般に携りました。

 実家が寺の私は、学生時代から「福祉のできる僧侶」を志していました。寮の紹介チラシ見て「地域就労」の文言に魅かれ、就職を決意したのです。

 青年寮の創設者は、糸賀一雄、田村一二さんとともに「近江学園」(大津市)の開園に参画した池田太郎先生。就労は「社会の中で技術を身に付け自立を」という池田先生の方針でした。就労支援制度が整った今と違い、当時は全国に先駆ける画期的な取り組みだったのです。

 働き先は、数多くあった信楽焼の家内制製陶所でした。利用者さんの3分の2が、朝から弁当持ちで各製陶所へ出勤。貴重な戦力として歓迎され、町中に私たちの顔見知りが増えました。信楽には私たちを受け入れてくださる豊かな土壌があり、今も変わりません。

 陶器づくりは、青年寮内でも窯を備え授産活動として取り組みました。外での就労が苦手な利用者さんとともに私も、当時の主力製品だった植木鉢づくりに精を出しました。しかし、植木鉢はやがてプラスチック鉢にとって替わられ生産が急減。社会経済の変動で製陶所が減り、青年寮も高齢化が進んで利用者さんが働きに出ることはなくなっていきました。

 時代にかなう新たな自立の方向を探っていた90年代、端緒になったのが粘土(焼成)作品の発表展示でした。寮内の陶器製作現場で、人面や動物など利用者さんの個性的で芸術性豊かな作品が次々に生まれているのに気づき、展覧会に出すと内外で大きな反響を呼んだのです。

 利用者さんらが海を渡って作品発表する機会も設けることになり、私が台湾の知己を頼ると台北市政府の協力が得られ2011年、第1回の日台交流展「しがらきから吹いてくる風」が実現しました。その後、現地の親の会などにも協力いただき日台相互の会場で毎年、交流展を続けています。14年からはタイやマカオ、ベトナム…と出展・交流の輪が拡大しました。

 障害のある人たちが作品づくりを通じ芸術への目を開き、自信と尊厳を持って生きていく力を養うのは素晴らしいこと。青年寮の目標「社会の真ん中で輝く」にもつながります。

 中途障害者の受託など青年寮には課題が尽きません。今後もフリーの立場で、課題解決や交流展に参加する施設、国・地域の拡大に貢献していくつもりです。


はやし・しん
 1994年、旧満州生まれ。龍谷大卒。69年から知的障害者施設「信楽青年寮」に勤め、施設長を経て今年6月まで理事長。授産活動の陶器製品づくりや施設利用者の創作作品を通じた海外との交流事業を進めた。利用者を民家で預かる民間下宿も自宅で実践した。黄檗山塔頭・法林院住職。