ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。



「コロナ禍による障害者スポーツの停滞から回復を急ぎたい」と語る時森会長(京都市左京区の京都障害者スポーツ振興会事務局)

停滞から復活、裾野拡大を


京都卓球バレー協会会長
時森 康郎さん



 卓球バレーは、障害のある・なしや軽重にかかわらず、誰でも参加できる団体スポーツです。6人対6人のチームが椅子に座ったまま卓球台を囲み、ネットの下を潜らせる形でピンポン球を打ち合って点数を競います。

 当初は障害者卓球の1種目でしたが、1988年に京都国体と連動して開かれた全国身体障害者スポーツ大会で、車いす駅伝とともに初めて公開競技として実施されました。

 大会前に、京都障害者スポーツ振興会が基本ルールを定め、これが今日の全国統一ルールの元になりました。競技人口は、順調に伸びコロナ禍前には府内で100チーム・1000人を超えるまでに成長したのです。

 私が卓球バレーに初めて出会ったのは、京都市の新採教員として市立鳴滝養護学校(現・鳴滝総合支援学校)に赴いた年でした。生徒は全員が筋ジストロフィー症の子どもでしたから、車いすでできる新しいスポーツとして採用されていました。

 率先して競技を指導されたのが、片山美代子教諭(故人・京都卓球バレー協会初代会長)でした。バイタリティーの塊のような人で、私も随伴して生徒たちを連れ、各地で開かれる競技会に参加。細かいルールの見直しや用具の改良にも取り組みました。後に私が京都卓球バレー協会や京都障害者スポーツ振興会にかかわるようになったのも、片山先生の導きによるものです。

 振興会での私は、団体競技部長として卓球バレーや車いすハンドボールのコーチも担当。全国障害者スポーツ大会(全スポ)には、京都市選手団の陸上競技(身体障害)コーチや監督で毎回、参加しています。振興会は2年前、50周年を迎え障害者スポーツの一層の普及へ、府北部と南部で陸上などの競技体験会などを積極的に展開。後継者となる若年層の参加を促しているところです。

 卓球バレーも競技の裾野を広げる努力は欠かせません。2008年に大分で開かれた全スポを機に、日本卓球バレー連盟が設立されて以降、全国の20府県に卓球バレー協会が誕生しました。しかし、全スポの正式競技を目ざすには至っていません。

 なぜなら、正式競技になると予選で絞られ出場できるのはわずか6チームに限られるから。多数の参加機会を設け競技を普及させるには、今は公開競技でいるのがベストと判断しています。

 京都卓球バレー協会にとって喫緊の課題は、コロナ禍による停滞からの復活です。市内の支援学校ではこの3年間、部活や対外試合が止まり、競技そのものを知らない生徒さえ出ています。陸上や水泳でも同じ状況で、生徒の運動能力低下が心配です。協会はもとより振興会からも指導者を支援学校などに派遣して競技再開へてこ入れします。会場を設定して、各学校の担当教員を含めた競技講習会も必須と考えています。


ときもり・やすお
1953年、京都市生まれ。日本福祉大卒。京都市教員として鳴滝、桃陽などの総合支援学校に勤務。退職後も新採教員の指導を担当した。京都障害者スポーツ振興会の役員としては長く卓球バレーや陸上競技などを指導。各種大会の運営にも当たる。同振興会副会長兼理事長。日本卓球バレー連盟副会長。京都市在住。