ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。


老小交流の日常に喜び

社会福祉法人「ほおの木」
理事長
 吉田 みゆき さん




「介護職は、常に人と接しながら自分を成長させられる素晴らしい仕事」と話す吉田理事長(近江八幡市中小森町、デイケアハウス・おかえり)
 近江八幡市で、認知症対応のグループホーム2施設とデイサービス1施設、学童クラブ(放課後児童クラブ)1カ所を運営しています。

 看護師として長く働き、お年寄りや子どもが大好きな性分なので、「私の経験が役立つなら」と、この道に入って21年。利用者さんと職員さん、地域の人たちの支えで、この歳まで仕事を続けられ感謝の気持ちでいっぱいです。

 私は中学の先生に勧められて看護師になり、大阪の総合病院からスタート。結婚で滋賀に移ってからは近江八幡市民病院(当時)に18年間勤めました。市内の開業医さんに転じ、訪問診療などに従事するうち、地域福祉にも関心が向いたのです。60歳で看護職を卒業したころ、ちょうど介護保険制度が動き始め、認知症対策は新しい段階を迎えていました。

 ある時、市が主催する認知症の研修会に参加。県内外の施設を見学して回り「私にもできるかな」と感じました。市の職員さんからも背中を押され、NPO(民間非営利団体)を組織して2003年、初めて開設したのが認知症対応型のデイサービス施設「おかえり」です。

 利用者さんのあるがままを受け入れ、「おかえり」のあいさつで出迎え、わが家にいるようなくつろぎの場を作ることを目ざしました。認知症介護は、やってみると利用者さんにじっくり時間をかけ関われる仕事でした。看護師時代は毎日が忙しく、患者さんに「待って。後でね」を繰り返した後悔もあり、今度こそ「心おきなく接しよう」と誓いました。

 12年、市内に新しい土地を探しグループホーム(定員9)などを新設したのは、1人暮らしで困窮する認知症の人が増えていたからです。手狭になった「おかえり」の移転先も探していました。この時、2施設に加えて学童クラブの併設を思いついたのです。

 核家族化が進む時代、「子どもはお年寄りに親しみ、労わりの心を育ててほしい。お年寄りは子どもの声や姿があれば、励ましになるはず」。そう考え、三つの施設を「川」の字に並べ、真ん中に学童クラブを置いて廊下や渡り板で両側の施設とつなぎ往来可能にしたのです。開所後は、お年寄りたちが表に並んで放課後の児童を迎えるなど、老小の交流が日常風景として定着。願いが通じ、本当にうれしく思いました。

 用地の取得をはじめ、困った時には必ず誰かに助けられてきた私には、多くの師がいます。市民病院時代の若い先生から教えられた「患者さんを、常に自分の大切な身内と思ってケアしなさい」の一言は、生涯の座右の銘になりました。

 介護職員の恒常的不足が続くいま、若い人には「現場で、直に人と接して自分を成長させられる素晴らしい仕事」と伝えたい。志望者を増やすためにも、介護福祉科を置く高校を増やすなどの施策を切に望んでいます。


よしだ・みゆき
1943年、鳥取県生まれ。看護師。72年から近江八幡市民病院勤務。婦長を経て退職後の2003年、市内で認知症デイサービス事業を開始。12年、同じ「おかえり」の名称を付けたグループホーム、デイサービス、学童クラブの3施設を同時開所した。17年、社会福祉法人「ほおの木」設立。20年、二つ目のグループホーム「ほおのき」を開設。