ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ともに生きる

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心の専門家の立場から心の健康長寿について講演する芝伸太郎さん

ともに生きるフォーラム

昨日までに安住せず
今日を大切に生きて

「暖流」執筆者が講演と対談(23/04/11)



 京都新聞社会福祉事業団主催の「ともに生きるフォーラム」が3月19日、京都市中京区の京都新聞文化ホールで開かれ、京都新聞朝刊「福祉のページ」のコラム「暖流」を執筆する講師2人がそれぞれ、心の健康を保ち穏やかな気持ちで生きる心構えなどについて話した。後半の対談でも心豊かに暮らすためのヒントを語り合い、訪れた約170人の市民らが、時にうなずきながら耳を傾けた。

 まず、もみじヶ丘病院(福知山市)院長で精神科医の芝伸太郎さんが「きのうを真似(まね)ず、あすを思わず〜心の健康長寿のために〜」と題して講演。芝さんは「精神科の医療は、時間がかかり結果が見えにくい。心の病を単純に説明・解釈するのはダメ。専門家ほど断定的な言い方はしない。セカンドオピニオン(別の医師の診断)を求めるのは有効」などと精神医学一般について説明した。心の専門家の視点から「価値観の違う人や世代との交流を大切に。慣れ親しんだ昨日までに安住せず、新しい今日に挑戦してほしい。それが昨日を真似ずという意味。今日を生き、朝目が覚めれば、あすは『新しい今日』すなわち新しい一生だと思いたい。それが『あすを思わず』という意味」と心の持ちようを話した。

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真宗大谷派僧侶の川村妙慶さんは、生きがいの持てる人生について語った

(いずれも京都市中京区、京都新聞文化ホール)
 続いて真宗大谷派僧侶の川村妙慶さんは「生きがいの持てる人生〜生老病死の身を受け入れて〜」の題で講演した。川村さんは「私の話を、答えを持って聞かないで、答えを求めて聞かないでほしい。現代は断定してしまう意見や情報が多いが、答えを持ったと思った時から、進歩は止まってしまう。決めつけるのではなく、自分の胸に問い、自分に聞くことが大事。それが学問という言葉の由来だと思う」と前置き。僧侶の立場からは「死亡日と言わずに、命日というのは、それまでの生を、命を全うした日であるとの意味から。仏教は戦わない教え。戦わないとは、相手の本質が分かれば、戦う必要がなくなるということ。例えば、人は何かに対する恐れがあるから不安になり、不安だから攻撃的になることがある。それを理解した上で、『(自我を)曲げて信をとる』という教えを実践していければいい」と説いた。

 さらに「目の前の欲を追い求めて時間つぶしをしているだけのような人生ではいけない。一人一人が、かけがえのない人生を生きていると思って、今日一日を生きることをありがたいと思い、大切に生きてほしい」と語った。

 対談では、それぞれの講演内容を踏まえて、芝さんが「精神医療の場では、本人の意志とは無関係に自死に至るようなケースもある。自分が自分のことを全部把握することはできない。精神科の病気は時代や社会を反映するようにも見える。僧侶や医師と対話することで自分のことが分かることもある」と言い、「どう生きるかを考え続けることが、生きるということ。答えを求め続けることが人生だと思う」と述懐した。

 川村さんは「決めつけることを求めてしまいがちだが、決めつけてはいけない。専門家は限界を知っている人であり、安易な断定は信じない方がいい、というのは共感できますね」などと応じ、心健やかに暮らす知恵を語りあった。