ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

働かないアリ

2020.05.25

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

立命館大教授 津止 正敏

コロナ禍で、鬱々(うつうつ)と日々を過ごしている。もうこれまでのような暮らしには戻ることはできないのではないか。不安は募るばかりだが、では、これまでの暮らし、とはどのようなものか。私自身にも知らず知らずに浸潤しているのだが、Uの服を着て、Aにネット注文し、Kから受け取る。通勤はT車だ。品ぞろえ豊富、早くて価格も安心。普段深くも考えずに当たり前のように囲われている。

作業間、ライン間、工程間でのムダを排除する手法や技法、それがTの誇る生産管理方式「ジャスト・イン・タイム(JIT)」だが、かつて「カンバン方式」ともいわれたJITはいまやグローバル経済の共通思想となった。何を・いつ・どこに・どれだけ・どういう順序で生産するか、運搬するか。決められた時間と場所に必要な部品・人員を瞬時に! これまでの暮らしとは、こうした思想の上に成っているのではないか。

UやA、K、Tだけでない。政策が求める医療や介護の現場のことでもある。一分のムダのない体制、100%の稼働で経営が成る現場、「ゆとり」は「ムダ」の別称で、絶対のタブーだ。命と暮らしのセーフティーネットが「コスト」とたたかれる。ん? デジャビュ(既視感)? 「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐氏著)が浮かんだ。働きアリの7割はボ~ッとしていて、1割は一生働かない。しかし、この働かないアリがいるからこそアリ社会は存続できる、と。

人間社会でも、平時は機能しなくてもいい、むしろ出番の無い方がいいとさえ世間に公認されている領域もある。軍隊だ。消防もそうかもしれない。軍隊など、いざという時の備えになる(と刷り込まれた)からこそ認知されているのだ。医療や介護の現場は、いまや日常生活にも不可欠、さらに今回のような感染爆発には平時にもまして社会的要請が爆発する。ムダではなかったのだ。ハンドルに遊びのない車は危ないが、普段の暮らしにゆとりのない社会はもっとヤバいのだ。

つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる – 男性介護者100万人へのエール – 』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言 – 』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」 – 』、『子育てサークル共同のチカラ – 当事者性と地域福祉の視点から – 』など。