ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

うつ病の処方箋

2020.06.08

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎

19世後半から20世紀初頭にドイツで活躍した「現代精神医学の父」クレペリンは、当時まだ整理されず混とんとしていた精神疾患すべてを緻密に観察し、症状・経過・予後などのさまざまな観点から体系的に分類する作業をライフワークとしていました。彼が生涯を通じ改訂し続けた教科書において「躁(そう)うつ病」として抽出されたカテゴリーは現代の種々の「うつ病」を含む包括的概念であり、精神科医にとって今なお参照すべき卓見に満ちています。

「躁うつ病(うつ病)」の命名にあたって気分の落ち込み・意欲の低下・思考の停滞などの症状が指標とされたのは当然として、実はクレペリンが最重視した特徴は「治療せずとも時間がたてば自然に治る」という経過でした。自死や食欲低下による身体的衰弱さえ回避できるなら、うつ病はある程度の休息期間の確保だけで勝手に軽快へと向かう「自然治癒プロセス」を内蔵しているというのです。

ただし、休息が確保されていても何らかの阻害要因で回復が進みにくい場合があるのも確かで、抗うつ薬は停滞している自然治癒プロセスを促進させます。うつ病治療の原則は「休息第1、薬第2」なのです。

忙しい現代社会はその休息を許してくれません。速すぎる生活速度がうつ病治療を阻むので、抗うつ薬に過剰な期待が寄せられるのは仕方がないにしろ、脇役(薬)に主役(休息)の穴埋めまで務まるはずもなく、難治症例は増える一方です。

第3次世界大戦ともいえる新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が、数十万以上の死者と経済の壊滅的被害で終息した後、社会構造とともに人の価値観も抜本的変革を余儀なくされることでしょう。

来たるべき新世界に私が願ってやまないのは生活速度のスロー化です。それは経済成長の断念とセットになります。働き方改革と経済成長は両立しません。

ほどほどの幸福での知足と生活速度を少しゆるめる暮らしが、うつ病をさほど困難なく治療できる決定的処方箋になるはずです。

しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。