ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

バチはあたるのか?

2020.06.16

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

ある新聞社の3月10日~4月20日に実施した全国世論調査で、人の迷惑も考えないで、自分勝手なことをしたり、残酷なことをしたりする人について、「バチがあたると思うか?」アンケートに、「思う」と回答した人は76%もおられたそうです。昔から、「悪いことをするとバチがあたるよ」と言われた方もおられるのではないでしょうか。では逆に、日頃から真面目に生きていたら良いことがあるのでしょうか。しかし、「あんな良い人がなぜこんな目に?」と不条理を感じることもありますね。

新型コロナウイルス感染拡大の問題は誰もが不安に陥りました。感染されたり、大切な方を失った方は今、どれほどの悲しみの中におられるでしょう。中には「コロナは、地球をいじめた人間へ罰をあたえたのだ」という方もおられます。これはとても危険な表現です。私たちは自分に都合が悪いことが降りかかると目に見えない特別な力が働く(バチがあたる)と考え、違うものに理由付けしようとするところがあるでしょう。私たちの「生き方」と「与えられた事」は異質なのです。このことがわからないと、少しでも自分の価値観の合わないことを見つけ、「バチ」と言う言葉で脅し脅されることになります。

仏教では「バチ」ではなく、「業」をいいます。業とは因縁果で、すべての出来事は原因があって結果があるということです。私たちは、両親から生まれ(因)、さまざまな出会いがあり(縁)、結果、縁次第で何があるかわからないのです。

バチというと、誰かに背負わされたことになります。そうではなく、私にふりかかる業を引き受けませんか?

新型コロナウイルスという、私の価値観が通用しない現実にぶつかりました。そのことによって、より深いものが見えてくるのです。私たち一人一人は、業を背負って生きています。だからこそ思い通りに生きるのではなく、地球の中に共存する一人として、お互いに助け合って生きていくしかないのですね。

かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。