ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

180万年前の「介護」

2020.10.19

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

立命館大教授 津止 正敏

秋期の授業が始まった。若い声が耳に届き、カラフルに着飾った学生らが目に飛び込んでくると、コロナの不安がありながらもやはりキャンパスらしくなる。これまですべてオンラインだった授業が、今期はゼミなど小規模講義に限ってだが原則対面となる。

授業のプロローグに、福祉や介護の起源について触れてみた。10年以上も前になるが、樋口恵子さんはこういった。「介護は人間しかしない。介護することは人間の証明です」。私たち男性介護ネットの発足集会へのメッセージだった。

樋口さんの言うように介護が人に固有な営みとしてあるのならば、その行為はいつから始まったのだろうか。この問いに考古学・人類学の研究が答えている(NHK番組『人類誕生』)。

黒海の東沿岸に位置しているジョージアという国のドマニシ遺跡で見つかった老人の頭骨化石に介護の痕跡が残っていたというのだ。その老人には歯がなかったことが、根拠となった。加齢によって歯が抜け落ちたとみられるが、注目されるのは歯がなくなった後も長い間生きていたというのだ。老人と共に暮らすメンバーが、柔らかな食べ物を与え暑さ寒さに備えるなど何かと面倒を見ながら暮らしていたのだろう、と。

いつの頃の遺跡かと思いきや、驚いた。2千年3千年前の遺跡ではない。なんと180万年前の私たち人類の遠い遠い祖先の遺跡だというのだ。他者を思いやるという人間らしい心も芽生えていた証拠という。弱肉強食が当然視され、他者を出し抜いてこそ生きられるような今の主流派の社会とは随分と違うようだ。

家族をつくり仲間と力を合わせながら衣食住を確保して暮らしていたのだろう。老いた人の経験や知恵も貴重だったに違いない。言葉や文字の痕跡もあったのだろうか。家族の世話をしながら暮らす人たちが、人と社会の源流を成すと思うと希望にもなる。ケアこそが人類社会の普遍的モデルだ、と。コロナ後の世界が求めているものだ。

つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる – 男性介護者100万人へのエール – 』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言 – 』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」 – 』、『子育てサークル共同のチカラ – 当事者性と地域福祉の視点から – 』など。