2020.10.26
2020.10.26
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎
駆け出しの精神科医には熱意のある者もない者もいます。患者さんの病状をかえって複雑にさせがちという意味で指導医が注意観察をより徹底するのはどちらのタイプなのか。皆さんには意外でしようが、実は熱意ある医師の方なのです。一般的に、熱意ある医師は病状を改善させることが多い一方、うまくいかない場合には病状をこじらせる程度が熱意なき医師よりも大きくなる傾向があります。熱意のあまり、患者さんの心に踏み込みすぎたり劇薬的な言葉を拙速に口にすることがあるからです。
彼らに不足しているのは知識です。診療に際していかなるタイミングでどのような問診を行い何を助言すべきかを見極めるには、教科書だけではなく経験に裏打ちされた生きた知識が不可欠です。知識は情報とは違います。スマホで検索できるのは断片的な情報にすぎません。ここに命題Aがあるとして、Aがどの範囲で通用するか、Aが見いだされた経緯、Aに関連する他の命題、Aの実践面での活用法などが有機的に結合した総体が知識と呼ばれます。医師が知識を身につけるには、臨床経験を積み重ね成書論文を熟読し先輩と議論を戦わせなければなりません。臨床にとって知識と熱意は両輪です。いくら熱意満々でも知識の乏しい医師は皆さんも遠慮したいでしょう。飛行機にたとえるなら、知識が機体構造で熱意が燃料にあたります。
平成の四半世紀あまりで熱意偏重知識軽視の風潮が急速にまん延しました。医療福祉業界もそうです。熱意を持って取り組んでいるのに大きな失敗が続くとすれば、まずは知識不足を疑ってみるべきでしょう。放出する熱意の量と方向に問題があるのではないかと。たとえば、認知症患者さんに適切に対応するには認知症に関する職種に応じた専門的知識が必要で、熱意さえあればなんとかなるというのは誤解です。「熱意なき知識は離陸せず、知識なき熱意は墜落する」と自戒を込めて若手部下に説いている今日この頃です。
しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。