2021.03.16
2021.03.16
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介
あれから10年になる。襲いかかる津波が家並みと田畑を飲み込み、車の列を流すのを映すテレビの画面に、同僚が叫声を押し殺して目をそむけるのを見た。翌日には原発の爆発が報じられた。ほんの1カ月前、その近くで精神障害者の家族会大会があった。そこで私は講演し、原発のすぐ近くの病院や福祉施設の人たちと親しく語らっていた。
その幾人かとようやく連絡がとれて現地に駆けつけた。共に酒を飲み、彼らのまだ生々しい話を聞くことしかできなかった。夜は強い余震に飛び起き、酔いは恐怖にすっかりさめた。
それからしばらくして、彼らの施設から荷物を運び出すために、防御服に身を固めて立ち入り禁止区域に入った。地表で100マイクロシーベルトという驚くべき放射能に汚染された森の中のそこは、永遠に時間の止まった美しい廃虚であった。
以前、阪神大震災の3日後に現地を訪れた。ぐにゃりと曲がった鉄路と崩れ落ちた高架橋、傾いた高層ビル、潰(つぶ)れて粉塵の臭いが立ちこめる家々。だが、多くの犠牲を伴いながらも、まだ当時は、復興の槌(つち)音が聞こえてくるのは早かった。
それから海の向こうで戦争とテロがあり、不安が世界を覆った。金融恐慌が起きた。東日本大震災と原発事故はそんな時に起きた。文字通り人間の住めなくなった原発の地は、地球にえぐられた深い生傷だ。
ごまかすことも、隠すこともできない、癒えることのない傷。いやおうなく傷と向かい合う人々の日常。社会も人も、そんな時代にいる。国が経済的に発展することで、すべての傷が修復されてきた、決して楽ではなかったが無垢(むく)で過ごせた成長の時代は終わった。
今、世界はコロナ禍に揺れている。次々に生じる新たな感染症は、乱開発や格差拡大という人類自身がつくった傷口から人間を襲う。その傷を塞(ふさ)げるかどうか、人類は試されている。
先日、東北は3・11の余震に揺れた。原発も再び深刻なトラブルを抱えた。
傷ついた世界の中で、3・11は終わらない。
たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。