2021.03.29
2021.03.29
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
立命館大教授 津止 正敏
最近上梓(じょうし)した拙著(『男が介護する』中公新書)を機に、思わぬお便りの交歓が続いて喜んでいる。コロナ禍の巣ごもりの中での数少ない潤いとなった。
高校の恩師から届いた近況には、多分に拙著の帯コピー「100万人へのエール」から取ったものだろうが、私も100万人のひとりかな、とあった。「妻は今デイサービスに週3回通っている。本人はもともと行っていたコーラスの集いにいっている、と思っているみたい。でも私が助かっているというのが本音かな」。意外だった。数年前の帰省の際に自宅に伺った時には、むしろ恩師の方が心配だった。会話が弾まなくなった恩師のそばで、「聞こえが悪いの。会話も難しいので大きな声で話してね」と私にこっそり諭してくれていた奥様だった。いま、その奥様がデイサービスに通い、気遣われていた恩師が介護者となって2人の暮らしを支えている。
岐阜県のKさんからは戦前の介護の様子が届いた。Kさんは認知症の奥様と2人で暮らしている。改修を重ねて老老介護に最適の自宅は、大正7年に祖父が建てたという家だ。近年の改修時に、祖父の生活の拠点となっていたと思われる部屋の床下から、便壺(つぼ)が埋め込まれているのが発見された。脳梗塞で寝たきりの数年間を過ごした祖父はKさんの生まれた年に亡くなっているというから、83年以上も前のことだ。介護を担う施設なども皆無の時代、和室の床に簡易便所を造設しながらの在宅介護もあったのだ。いま奥様を介護しながらのKさんの毎日の暮らしが成っているのがこの家、という奇遇もある。
故郷の恩師やKさん家族の介護生活。それぞれの時代とそれぞれの家族の介護のある暮らしの実相である。介護を排除し邪険に扱うこの社会の主流派への異議申し立ては、介護のある暮らしの一コマ一コマを大事に伝え残していくことから始まっていくのではないか。エピソードを繋(つな)げて社会の本質に迫る、私自身の抗(あらが)い方でもある。
つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる – 男性介護者100万人へのエール – 』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言 – 』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」 – 』、『子育てサークル共同のチカラ – 当事者性と地域福祉の視点から – 』など。