ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

揺らぐ恒心

2021.06.15

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎

「私の職場は心の病に理解がありません」と患者さんが診察室で嘆く際の「理解」とは、職場の「病欠に対して嫌な顔をしない」や「復職後の業務軽減や部署異動に配慮する」といった振る舞いを意味します。

心の病は骨折のように目に見えるものではありません。病をよくするには職場の理解が不可欠なのです。職場は、精神科で治療を受けている患者さんの病状をきちんと把握し適切な処遇をする義務があります。そのためにも、日ごろからの学習や啓発が必要です。

多くの患者さんと接していると、職場ごとでその取り組みにかなりの温度差があることがわかります。一般的傾向として、企業の「財政規模」と「職場の理解度」は正の相関をなします。だからと言って、大企業ほど経営陣の見識が高いから理念や方針が立派になると考えるのは早計です。

私の知人に小さな町工場の経営者がいます。彼は心の病に十分な知識を持っており、従業員を大切にしようと努力しています。しかし彼は、心を病んだ従業員に「ゆっくり休んでください」とか「異動も検討します」と安易には言えないのだ、と悔しそうに私に吐露したことがあります。工場は彼を含めて従業員5人の零細企業だからです。

従業員50人で部署五つの企業なら、1人病欠でも残り49人でカバーできるし異動も容易でしょう。しかし従業員5人で1人病欠では残り4人に負担がかかります。もともと1部署のみなので異動も無理です。孟子の「恒産なくして恒心なし(一定の財産がなければ安定した良識を持つことは難しい)」は、企業の「財政規模」と「職場の理解度」にも当てはまります。

企業の経営体力の格差拡大に一層拍車がかかっています。一部の大企業はより巨大化し職場の理解も向上するのに、多くの中小企業は経営的に苦しくなり理解を示すのが困難な状況になっています。職場の恒心の格差拡大は市場原理では解決できません。政治が手を打つべき喫緊の課題です。

しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。