ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

退屈

2021.06.28

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

70代の方から「毎日、同じことの繰り返し。何をどう過ごしていいのかわかりません。もう死にたい」とメールをいただきました。新型コロナウイルス感染の不安から、行動が制限されるようになりました。自分の時間が持てる半面、困ったこともおきました。

それは「退屈」という苦痛です。この退屈は仏教の教えで、修行の厳しさに負け、「退き」「屈して」しまい、歩み続ける気力をなくしたことを言います。私たちは「何もすることが無い」ことほどつらいことはありません。

なぜなら、生きていることの手応えを感じられないからです。「私は何のために生きているのか?」と、果たし遂げるべき課題を失い、ただ時間稼ぎをしているのです。誰もが「不老長寿」を求めますが、逆に考えると「終わりがない人生を求めている」ことにもなるのです。そこに生きる喜びが伴わないと退屈な人生を送ることになります。

蓮如上人は「後生の一大事」とおっしゃいました。つまり、本当に大事なことを投げ出してその場しのぎで生きていないか? という問いです。師は「死にきれなかったら愚痴と恨みしか残らん」とおっしゃいました。この世に生まれた意義を自覚し、その意義を尽くして生き切るとき、はじめて死に切れるのでしょう。

退屈を乗り越えていくには、思い通りにならない人生を必死で生きている人々に出会うということです。悩みを抱えながらも希望を持って生きている人間の姿に出会えたとき、はじめて、「自分は一人で生きているのではなく多くのいのちに支えられて生きている」ことに気が付かせていただくのです。その事実を忘れ、自分だけが退屈だと思うからむなしくなるのです。

私は、その方に向き合い「せっかくワクチンを接種したというのは、あなたの『生きたい』という心の叫びです。効き目を楽しみに、どうか足の下に落ちている大切なことを見つけていきませんか」と返事をさせていただいたものです。

かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。