ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

心の病は遅れて来る

2021.08.30

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎

引っ越しうつ病というものがあります。およそ90年以上前のドイツで提唱された概念です。小さな借家から念願の大きなマイホームに引っ越しして、しばらくは幸福を満喫していた主婦が数カ月後に発症するタイプのうつ病です。通常の心理では「どうしてこれで病気になるのか」説明は困難で、このあたりが精神医学の奥深さであると私は思います。引っ越しうつ病は現代にも見られます。引っ越し直後ではなく数カ月というタイムラグを伴うことがポイントです。

愛する近親者の他界を契機として発症するうつ病もあります。家族を失った直後に気持ちが落ち込んで何をする意欲もなくなるのはある意味では普通の反応でしょう。そのような一過性で正常範囲のうつまでも病気とみなして治療対象とするのは不適切で、そういう過剰な精神科医療に警鐘を鳴らす識者も少なくありません。他方、死別直後は動揺を見せずに気丈に振る舞い葬儀などの行事をてきぱきとこなしていた方のうちで数カ月ないし数年経過してからうつ病を発症するケースがあります。これは重症になる場合が多く当然本格的な治療を要します。

ここでもポイントはタイムラグであり、心の病気は重症化しやすいものほど誘因となる出来事の直後ではなく相当遅れてから発症する傾向があるのです。精神科医が患者さんのストレス直後の平然とした様子を確認した後も慎重な中長期的経過観察を怠らないのは以上の理由によります。

おそらく今後1年以内に新型コロナは季節性コロナに近い株に変異し、かつての日常が取り戻されることでしょう。精神科医が1人も含まれていない政府分科会が高らかに勝利宣言をする頃、コロナ関連精神失調の急増が予測されます。3密回避で人間関係を奪われ精神的孤立を余儀なくされたり度重なる自粛要請により失職し生活破綻に追い込まれた人は数知れず、きたる「心の病気パンデミック(世界的大流行)」に備え精神科医スタンバイです。

しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。