2021.11.08
2021.11.08
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎
現代医療では病名告知が原則です。がんで余命3カ月の場合であっても治療者は包み隠さず病名を告知して今後の対処について患者さんと合意形成するのが標準です。余命3カ月の告知を受けた患者さんが絶望のあまり直ちに自死されたとすると、3カ月の余命が1日に短縮されたことになります。それでも治療者は何も責任を問われません。
なぜなら原則通りの対処をしたに過ぎないからです。原則を無視して告知を避ければ医療義務違反として非難される事例もあるでしょう。結果はどうなろうと告知自体は正当な手続きなのです。しかし「医療原則に照らして正しい」対処が必ずしも「医療行為として妥当」とは限らないところに難しさがあります。
原則とは「絶対に」という意味ではありません。原則という文言が盛り込まれている取り決めでは原則からはずれる例外状況も想定されており、原則を極力順守する姿勢が担保されている限りその他に出るのもときに許容されるわけです。
精神科における告知は非常にデリケートです。問診と治療が一体化して進行する精神科では告知も予後に大きな影響を与えます。告知自体が治療促進的に作用する病気もあれば、告知によって治療の足が引っ張られる病気もあります。前者の代表はうつ病です。
うつ病では治療の初期段階における明確な告知が治療経過を良くすることは専門家の間で常識です。無論個々の患者さんあるいはそのときどきの病状により適宜修正は必要ですが、うつ病治療において病名告知は極めて重要な役割を果たします。
認知症初期の患者さんに「初期の認知症なので治療しましょう」と告知するのは原則に照らせば正しいのです。しかし「認知症の手前なので予防的に手を打ちましょう」という説明の方が治療に前向きになれる患者さんも多くおられることでしょう。原則はときに冷酷です。原則を尊重しつつもそこからわずかに足をずらす等の機微に医療の真髄が宿るような気がします。
しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。