ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

「敬老乗車証」に思う

2021.12.14

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

弁護士 尾藤 廣喜

京都市議会は、11月5日、敬老乗車証の負担金の引き上げを可決した。これによって、70歳以上の高齢者を対象とした市バス・市営地下鉄の負担が最終的には3~4・5倍になり、年収700万円以上の高齢者は対象外になることが決まった。

私は、弁護士になって以来、少なくない市民税を京都市に支払ってきたと自負している。しかし、これに対して、私が、直接京都市から個人の福祉制度として利用できた制度はこの「敬老乗車証」制度だけだった。それだけに、私は70歳になってこの制度を利用できることをとても楽しみにしていた。

ところが、今回の引き上げで、事態は一変した。たぶん年収の関係で、2022年10月から、制度の対象外になるか、今の倍以上の負担を余儀なくされることになるだろう。

社会保障の給付については、生活困難者に限定して給付する「選別主義」と社会的に負担すべきニーズのある人全てに給付する「普遍主義」の二つの考え方があるが、遅れた社会保障の国である日本では、「普遍主義」はほとんど根付いていない。元々「敬老乗車証」の制度は、長年社会に貢献してきた高齢者に等しく給付する制度であり、京都市では数少ない「普遍主義」に基づく制度であった。

スウェーデンなどの北欧諸国の税負担が高額であっても納税に抵抗感が少ないのは、普遍主義に基づく給付が高額納税者にもあることによる。税金はとられるものではなく、みんなで支えるものであり、返ってくるものと理解されている。

今回「敬老乗車証」について、所得により給付対象外としたり、大幅な負担を求めることになれば、私たち中所得者にとっては、税金はただ取られるだけで見返りがないことになってしまう。

京都市は、今回、低所得者の負担を強めただけでなく、中高所得者の租税抵抗感をも強めたが、そんな福祉給付の考え方ばかりで良いのかがまさに問われているのである。

びとう・ひろき氏 1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。