2022.05.30
2022.05.30
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介
福島の若者6人が、原発事故の被ばくによって甲状腺がんを発症したとして、東京電力を訴える裁判を今年1月に起こした。
国は、福島の調査で見つかった甲状腺がんは、放射線被ばくとは関係ないと言い続けてきた。それは福島に対する差別や偏見につながると言う。少なからぬ県民も「風評被害だ」、そのことには触れないでほしいと言う。これに賛同する学者もいる。だが、これらの言い分は本当だろうか。
現実には、まれな病気である甲状腺がんが調査で300人近くに見つかり、200人以上が手術を受けた。今回提訴した若者は、それらの中でも重症だった人たちであるが、実際に手術した人々の情報は発表されていない。医大で手術担当だった元教授は、当初、普通にはありえない事態だと述べたが、その後は一切口をつぐんでいる。被ばくの影響があるという学術論文も多いが、それは社会一般には知らされていない。
学者たちは、本来誰にでもあるような無害な腫瘍が調査で過剰に見つかっただけだと言う。この理屈自体は医学的には正しいが、若者に重症甲状腺がんが多発しているという現実の事態を説明できない。
政府、学者が否定しているので、原告の若者たちはネットやマスコミで口汚い非難にさらされている。利害のある大人に利用されている、と。コロナ後遺症も、子宮頸がんやコロナのワクチン被害を訴える人たちも同じように言われてきた。
コロナ禍以来、科学は安易に断言し、統計的に少数なものは存在しないとされるようになってしまった。実際に苦しむ人がいるときに、科学や統計がその小さい存在の声を押し殺すために使われるのだ。世の中の体制と大勢を守るために、科学や統計の言葉が使われる。そして、目の前に存在する患者の訴えにどう向き合うか、その医療の原点が見失われているようだ。
今の社会は、コロナ禍と戦争でますます余裕がなくなった。小さきものの声に向き合う姿勢が、失われていないだろうか。
たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。