2022.08.29
2022.08.29
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
立命館大教授 津止 正敏
「Caring Masculinity」という言葉がEU(欧州連合)で広がっていると聞いた。「ケアする男らしさ」―ジェンダー平等を志向するこの時代にあえて「男らしさ」を強調しているようだが、そこには「男らしさ」のすべてを問題視するのではないという含意があるのだという。
感情の隠蔽(いんぺい)、暴力や逸脱など薄っぺらな逞(たくま)しさ、手段を択(えら)ばぬ競い合いなどという「有害な」男らしさが女性や社会、ひいては男性自身にとって悪影響を及ぼすのであって、そうではない男らしさもあるのだ、ということを含んでいる。有害ではないどころかとても有意な行為を表現する戦略的な言説、それが「ケアする男らしさ」なのだ。
私たちのネットワークでも「有害」な雰囲気が漂うときがある。他者に先んじて誰よりも先に早くと圧をかけられながら懸命にビジネスの世界を走り抜いてきた男たちだが、介護者になってもその志向は根深く残るようだ。「俺流介護」の優位を競うがあまり話し合いがヒートアップ、俺の介護が絶対だ、と双方譲らずに険悪になってジ・エンド、という具合。
でも、私が「ケア・コミュニティ」と呼んでいる介護者の会や集いでは見事に補正力が働くから不思議だ。一触即発の危機に気付いたメンバーが言う。「俺はこうしている。あんたに合うかどうかはわからないがね」。こうオチをつけるとその場がまずは収まるという。独り善がりで狭量な我流とは無縁だ。SMAPが歌った「世界に一つだけの花」も言っている。誰かと比べて一番を競うのではなく、自分の種で自分らしい花を咲かせよう、と。
介護の世界では「俺はこうしている」だけで十分。気持ちは伝わるのだ。仲間の意見を傾聴すれば一人じゃないことも実感する。ケアという行為の中で育つ包容力や忍耐力、謙虚さもある。炊事・掃除・洗濯などのマルチな生活スキルもしっかり身に付く。
誰か「ケアする男性、推し!だね」って歌ってくれないかな。
つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる – 男性介護者100万人へのエール – 』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言 – 』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」 – 』、『子育てサークル共同のチカラ – 当事者性と地域福祉の視点から – 』など。