2022.11.15
2022.11.15
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
立命館大教授 津止 正敏
呼吸管理やたんの吸引、経管栄養などの医療的ケアの必要な子どもたちは全国に約2万人、京都でも270人の子どもたちが暮らしている(令和2年度末)。昨年9月にこの子どもたちへの支援に関する法律が施行され、ケアラーたる家族の離職防止も立法目的とされた。京都府もこの法が定める医療的ケア児等支援センターを今年4月に開設、行政の取り組みがようやく緒に就こうとしている。
京都に「ケアラー支援条例」をつくろうという私たちの運動も半年が経過。その一環で開いた公開学習会で、医療的ケア児と暮らすある母親の話を聴いた。
ずっと働きたいと思って公務員を志願し職に就いたが、結婚し出産しこの子が生まれ、仕事を辞めた。自分の思い描いていたこととは全く違って、葛藤もあった。下の子も生まれ子ども優先の生活が続いたが、学校も始まって使えるサービスも増えた。少しずつだが自分の時間も出来てきた。生活とのバランスを考えながら、自分のやりたいこと出来ることを探して、いま重度障害児をサポートする仕事に携わっている。自分が子どもと過ごしてきた何年もの時間は、こうして働いて家族と過ごし他の仲間もいるいまの暮らしを想えば、決して無駄ではなかったのだ、そう思えるようになった―。聴く者の心に響くエピソードだった。
無駄ではなかった、と聞いて歌人の俵万智さんの歌が浮かんだ。「揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間」。歌集『プーさんの鼻』に収められている一首だ。20代30代全力で走り切ってきた俵さんのシングルマザーとして子育てに追われる遅滞感、キャリアの喪失感。それでも、前に進まないからこそ見えてくる世界もまぶしい。木馬の時間へのあふれんばかりの肯定感が、あの母親の思いに重なった。
ゴールに直結する単線ルートだけではなく、途中下車も乗り換えもある複線迂回ルートの人生をも包摂するケアフルな社会がいい。私たちのケアラー支援条例が目指す社会像でもある。
つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる – 男性介護者100万人へのエール – 』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言 – 』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」 – 』、『子育てサークル共同のチカラ – 当事者性と地域福祉の視点から – 』など。