2023.04.18
2023.04.18
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎
死後も霊魂が残るのか否か、人によって意見は割れるでしょう。私事で恐縮ですが、私は今年初めに父を亡くしました。父の体も心も消滅したと私は思っていますし、将来もこの考えは変わりません。しかしだからと言って、父の葬儀を無宗教で済ませたわけではなく、遺影に手を合わせないわけでもありません。この世に父は存在しないと理解しつつも、私自身が父の死を受容するために、その霊魂が眼前にあるかのごとく合掌するのです。
死後の世界や不滅の霊魂などは、あるともないとも証明できないので、その有無を議論するのは不毛です。残された私にとって必要なのは、父の霊魂があるのかないのかという認識ではありません。本当はないのかも知れないけれども、あたかも「あるかのごとく」振る舞うという行為が私に心の平穏と前進する活力を与えてくれるのです。
事柄によっては、事実か幻想か、是か非か、黒か白かを議論することも必要です。ただし、人間の本質にかかわる領域には正解のない問いばかりが並んでいます。それらに対して、二択的判断ができないという理由で、行為を置き去りにしたままの沈思黙考はいけません。ともかく何らかの実践に身を移すのが成熟した人間社会です。
霊魂以外の例をあげるなら、人間の悪事を見張っている神様の目がこの世にあるのか否か、誰にもわかりません。ただ「あるかのごとき」構えが道徳や倫理の成立条件になっているのは確かだと思われます。子どものしつけには神様のまなざしを内面化させるという側面があるはずです。
さて、人生に意味があるのか否か。正解のないこの問いにおいても「あるかのごとく」振る舞うこと、つまり認識を超越する実践が、未来を切り開く駆動力になります。「生きる意味があるのか」と問うのではなく「生きる意味があるかのごとく」歩んでいただきたい。人生の意味に悩めるすべての方々へ、精神科医から贈る言葉といたします。<
しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。
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