2023.05.16
2023.05.16
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
僧侶・歌手 柱本 めぐみ
仁和寺で門跡のお話を聞かせていただく機会があり、国宝の金堂の中で拝聴しました。御所の紫宸殿を移築したという金堂に座すと、長い歴史を見てきた柱や天井が何かを語っているように思えました。そしてその雰囲気と門跡のお話があいまってひと言ひと言が深く響き、私は日常とは違う時間が流れているような感覚さえ覚えたのでした。
その余韻を感じながら山門に続く緩い下り坂の道を歩いているとき、思い出されたのは「おかえりなさい」ということばでした。「ひとつのあたたかなことば」と表現されたと記憶しています。戦死したと知らされていた息子がある日突然帰ってきたとき、皆が慌てふためいたのをよそに、母親だけはさも当然のように「おかえりなさい」と言って迎えたというお話でした。
改めて、「おかえりなさい」ということばを味わってみました。子どものころは学校から帰ると「おかえりなさい」という声が待っていました。その頃は何も感じませんでしたが、今思えば、そのひとことでほっとした気持ちになっていたと思います。今も、私が家に帰ってくると「おかえりなさい」と声をかけてくださるご近所の方もおられます。また、常連さんが来られると「おかえりなさい」と言うお店もありますし、ケガや病気が治って復帰された人にも「おかえりなさい」と言います。そのひとことにつらかった日々が癒やされて涙される方もおられます。このようにいろいろな場面の「おかえりなさい」を考えてみますと、実にあたたかなことばだと思えてきます。
意思疎通の多くはメールやラインで事が済む時代であっても、「おかえりなさい」ということばは、顔を見て声にすることで初めて意味を成す気がします。
家族だけでなく、お互いの安全無事を願い、共に今日があることに感謝できるつながりを大切にするためにも、「おかえりなさい」と言い合えるこころを忘れないでいたいと気付かせていただいた1日でした。
はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。