ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

怖がれません、正しくは

2023.09.25

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介

3年間のコロナ禍が終わろうとしている。だが、まだまだ感染はここかしこでくすぶり、人々の不安は拭えない。マスクはどうする、ワクチンはさらに打つべきか、誰も正解をもっていない。世間や政府、専門家の意見は、両極端に分かれる。

私個人は、コロナは、以前の普通の生活の中の、厄介だが一般的な感染症の一つになると考えている。ワクチンも、社会全体を守るという役割はすでに終えている。今は、緊急事態の中でさまざまなリスクを不問に付してきたことを反省して、見直す時だ。危機下の3年は、私たちの心の健康や社会の安定を傷つけてきた。回復には時間がかかる。

それでも、まだコロナに罹(かか)ることが不安でたまらない人は多いだろう。病院で対策に苦労しきた医療関係者も不安だろう。同時に、コロナ対策で生活が苦しくなった人々には、先々の不安が大きい。子ども達はいつまた無邪気な日々を取り戻せるのだろうか、これまでの自粛生活が成長に悪い影響を与えていないだろうかという心配も当然だ。

不安は数字で計れない。未来が不安な人、過去の経験におびえる人。不安がとらえどころなく広がる人、これが不安だとハッキリしている人。自然の感染は平気だが、社会的に強制される予防接種の害は怖いと言う人も多い。何をどう怖がるかは、その人の人生と環境ごとに実に多彩で、それぞれかけがえがない真実だ。政府や識者は言う。科学的な事実をきちんと知れば、コロナもワクチンも必要以上に怖がることはない、正しく怖がろう、と。それでも無闇(むやみ)に怖がる人は理解力が足りない、と言わんばかりだ。だが、専門家の科学もまた、この現実のほんの一断片にすぎない。今までに起こった事実をどんなに正確に理解しても、未来はわからない。人間の感情は、科学の世界よりも広く深い。「正しい不安」というものは、ない。

コロナ騒動は、政府の優柔不断と専門家の不確かさを社会に見せつけた。その信頼回復が先決である。人は、正しくは、怖がれない。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。