2024.01.15
2024.01.15
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
先日、タクシーに乗車すると乗務員さんが「いつも妙慶さんのラジオ聞いてるで。若い頃は法話なんか絶対に聞かなかったけど、この年になって角が取れてきたのか素直に聞けるようになりましたわ。しかし今度は妻の頭から角(つの)が出てきていじめられています。昔の出来事は解決したのに、妻はよく覚えているんよ、こまったものや」とおっしゃったのです。「角隠し」という言葉があります。
元は、真宗門徒の女性がお寺参りの時に用いたかぶりものが、「婚礼の時に花嫁がかぶる頭飾り」に変化していきました。あえて角を隠すということで、「私も怒ると角を向け、人を傷つけることもある」ということを告白していたのです。
さて、人間は自分の思いが通ると笑顔が出ますが、少しでも自分が否定されたりすると怒りが出て、隠れていた角を出すようにもなります。角を向けられた相手も負けてはならぬと角を出して戦おうとするのです。
けんかはまさに角のぶつかり合いです。乗務員さんが「年齢と共に角が取れた」とおっしゃったのは、さまざまな人間関係を経験する中で誰かと衝突し、あるときには相手から泣かれて自分の角が徐々に削られてきたのです。仏さまはその角を取りなさいとはおっしゃっていません。人間は最後まで自分を守ろうとする生き物です。「私にはいつでも人と戦おうとする角がある」と自覚することが大切だとお教えくださいます。
私は「連れ合いさんはずっと我慢してこられたのではないでしょうか。夫だけが解決しているようですが、連れ合いさんの中では何も終わってないのですよ。そのためにも『ごめんな』と一言伝えてみてください。そのたった一言がないために連れ合いさんは苦しんでおられるのかもしれませんね」と伝えたのです。
人間は、言葉で惑い、しかしその言葉で心が回復できるのです。だったら温かみのある言葉を相手に伝えたいですね。
かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。