2024.02.12
2024.02.12
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介
超少子高齢化社会はケア社会である。生まれた時から常にケアを受けながらヒトは人となる。社会は互いにケアしあうことで成り立っている。年老いれば、誰もがケアされながら人生の終わりを迎える。
にもかかわらず、この社会、特に現代の産業社会では、他人に頼らずに「自立」して生きることが最高の価値であると教えられる。ケアを受けて育つ人間にはケアが本能のように組み込まれているはずなのに、いざ他者をケアするのは難しい。「自立」を価値観にしてきたので、ケアされることには抵抗もある。互いに初めてのことのように、知らないことばかり、戸惑うことばかりだ。ケアにはさまざまな葛藤が生まれる。
現代の教育は、ケアを無視してきた。ケアの仕事こそ、これからますます重要であるにもかかわらず。現代社会は、ケアのための複雑なシステム、ケア労働のための多くの資格、その取得のための様々な教育や試験に満ちている。だが、それらをクリアしてケアの現場に出ても、机上の勉強だけでケアはできない。
今必要なのは、現場に出て悩んだ時、行き詰まった時に、ケアする人を支援する仕組みと人材だ。ケアのケアである。行政には、現場を知る上司が少ない。ケアの教育には、現場経験に乏しい教師が多い。専門家の知識は現場で応用が効かない。いきおい、現場の悩みは個人だけで抱え、仕事を続けるのが困難になる。支援者が孤立している。
困難なケアの視野を広げ重荷を労り、傷つきを癒やすには、適切な第三者の目を交えた情報交換や事例検討が必要だ。しかし、それをしようとしても個人情報の保護ばかりが言われて、現場は萎縮する。事例検討が、互いに巻き込まれている者同士の欠点指摘の場になっていたりする。支援の現場ごと、孤立している。
ケアの仕事は、公正な他者の目がなければ行き詰まる。地域に根づいた小さな場所で、複数の現場から参加できる集まりをつくり、互いにケアしあうつながりが求められている。
たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。