2024.03.11
2024.03.11
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎
母が「アレクサ」というAI(人工知能)機器を実家に取り付けました。アレクサは人間と会話をし、人間の質問に答え、人間の指示に従って照明・テレビ・エアコンを操作します。
アレクサの機能を確かめるべく私が「お金を貸して」と話しかけると、最初は「相手を間違っていませんか」と答えました。半時間後に再度同じことを言うと「近くのATMの場所をお教えします」と回答を変えます。あまりの優秀さに驚嘆し、私は「近未来に医者はAIに追い抜かれるかも」と不安になりました。
「AIごときに人間の医者の代わりがつとまるはずがない」というのは医者の希望的観測です。自己学習する進化型AIは膨大なデータをもとに正確な診断をくだし最適の治療法を選択するでしょう。私の年代以上の医者はなんとか逃げ切れるとしても、若い医者の多くはAIによっていずれ失職の憂き目にあうかもしれません。
AI時代における医者の存在意義を考えていたら、作家・コピーライターの故「中島らも」氏との対談を思い出しました。「医者の『治るよ』の一言で患者の病気は半分治ったも同然なのに、医者はそれをなかなか口にしない」。インフォームドコンセント(説明と同意)という「医療の常識」を刷り込まれていた私の胸に突き刺さる言葉でした。
なにごとにおいても完璧はあり得ません。「この治療法は100%成功する」と断言すれば嘘(うそ)になります。AIなら「成功率80%、失敗率20%」というデータ予測を答えるでしょう。そこをあえて「治るから大丈夫ですよ」と覚悟を持って言えるのは人間の医者です。不安を抱える患者さんが求めているのは必ずしも正確な統計的数値だけではないはずです。
人間の医者がAIに勝てるとすれば「患者さんに希望を処方できる」という一点のみではないかという気がします。医療が進歩と引きかえに置き忘れてきたものをAIと向き合いながら再考したいものです。
しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。