ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

世界はいつも

2024.04.22

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介

去年のちょうど桜の時に、白内障の手術をした。今年は同じ時期、補聴器をあつらえた。自分、サイボーグ化計画である。そういえば、歯はとっくに人工物がはまっている。

白内障の手術後、眼帯がとれて驚いた。世の中が新しい蛍光灯の下で見るように白いのだ。白、というより蒼白(そうはく)だ。満開の桜を眺めると、一面の「桜色」。手術していないもう片方の目で見ると、桜も街の白壁もくすんだセピア色に戻る。これが「本当の桜」なのか。

今度は耳だ。若い頃から左耳はあまり聞こえない。不便はなかったが、歳とともに人の話が聞き取りにくくなってきた。これは商売柄、少し都合が悪い。その左耳の聴力を上げて、左右とも加齢で悪くなっている高音域も補う。器具をつけたとたん、世界がぐっと近くなった。人の言葉がくっきりとした輪郭をもって聞こえる。聞き慣れた音楽に、はじめて聞く細かい音が加わる。だが、世界が少々やかましい。自分の歩く靴音が聞こえても、しょうがないではないか。

目が慣れてくると、身の回りの白は何の変哲もない白だし、もともとセピア色だった写真は同じように懐かしい。人々のざわめきも、いつのまにか聞いていない。目や耳から入る信号を、日常生活に最適な具合で感じるように、脳が調整するのだろう。

実は、私は赤緑色覚障害である。深い緑に点々と咲く真っ赤なブーゲンビリアの花は見えない。沖縄で皆が美しいというそれは見えない。それでも、亜熱帯の陽に輝く緑は美しい。そういえば、くすんだセピア色に見えていたはずの満開の桜も、ずっと毎年のように美しいと感じてきた。音数が少なく聞いていた音楽にも、十分に感動していた。

目や耳の具合を調整したら、世界がよりよくなったのではない。どのような感じ方であれ、自分が生きるのに最適に調整しながら、私たちは生きている。

感覚や文化の多様性というのは、そういうことだろう。世界はいつも、誰にとっても、豊かで美しい。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。