ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

正しさを伝える前に

2024.08.12

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

医療従事者であるNさんは突然出勤できなくなり、長期休暇を取ることになりました。検査をしても身体のどこにも異常はみられません。部屋で休養しているNさんに親は「私の時代はもっと大変だったけど乗り越えてきたのよ。充分に休んだのだから責任を持って仕事をしなさい」と声をかけます。

Nさんは「お母さんのいう事はド正解です。だけど身体が動かないの」と叫んだと言います。職場に戻れるのなら今にでも復帰したい。しかし、どれだけ正しいことを言われても身と心がついていけないのです。

親は「正しさ」を伝える。しかしその「正しさ」が残酷な言葉となって相手を追いやってしまうこともあるのです。

「念仏には無義をもって義とす。」(歎異抄)

親鸞聖人は「義」を「はからい」と訓読しています。「はからい」とは、自分の勝手な解釈で思い計ることです。義に正しさをもってくると「正義」となります。相手の人生を外から観察し分析してもわかるものではありません。他人が食べている食事を覗(のぞ)いて「そんなもの食べて美味(おい)しいか?」と言っているみたいなものです。他人の心の状態は自分の思い計らいでは理解できないのです。

「やる気があればどんなことも立ち向かえる」とおっしゃる方がおられますが、やる気だけで心はコントロールできないのです。親鸞聖人の教えをうけた蓮如上人は「独覚心」の怖さを悲しまれました。自分が過去の経験から覚(さと)ることができたことを、相手に押し付けることはできない。時には「正しさ」を伝えることも必要でしょう。しかし、正しさは必ずしも人間を活(い)かすとは言えないのです。

親鸞聖人は「正しさを伝える前にお念仏申しましょう」とお教えくださいました。合掌することで心が柔軟になり、相手の心に寄り添うことしかできないのです。「しんどかったね」という慈悲の言葉が添えられたら、相手は救われていくのではないでしょうか。

かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。